日記 2022年11月7日 月曜日

 

久しぶりにPCを立ち上げてまず思ったことは「画面ちっせ~」だった。こんなちっさい画面が私のすべてだった。でも、なんかWordの画面もショボくなってるし。しかもPINコードを職場ので打ってしまった。普通に萎える。

 

最後に書いた日記を確認すると半年以上前の4月1日を最後に更新が途絶えていた。もっとも、日記を真面目に書いていたのは大学1~3年の時で、4回になると人生の節目にしか書かなくなってたんだっけ。

 

最後の更新は今年の4月1日だ。新生活。

 

日記 2022年11月7日 月曜日

 

はい、社会人になってしまいま~した。毎日社会不適合者だと実感しながらひたむきに労働に勤しんでいます。勤務先は短いスパンで関西圏を転々としていたんだけどようやく地元の神戸で落ち着きそうです。まあこれも長くは続かない。願わくば冬が明けるまではここにいたい。そう思う。

 

近況報告。

さいきんあらゆる方面から怒られ事案が発生している。発端は、最近会う友達が皆示し合わせたかのように同じ話題を口にするようになったことだ。主に、仕事の話、お金の話、恋愛の話。

ナンジャコリャ、同志たちよいったいどこへ行ってしまったのだ。わたしもいつか仕事に染まるのかなと思うと、それはちょっとというか、かなり嫌だなと思う。多趣味な人間だから、幸福を常に感じたいから。仕事に生の使命感を委ねたくないから。理由はいろいろあるけど、要するに仕事は仕事だと思っているが、どうやら仕事の定義が世間一般のそれとは大分ギャップがあるらしい。未だに私は新入りなのに一番遅くに出勤して一番早くに退勤している。誰もそれを咎めないので、そのままでいいと思っている。どうやらそれがいけなかったらしい。「仕事と金と恋愛の話ばかりで嫌だ」という感想から、無意識から意識の表層へと「染まりたくない」という意思が形成されてしまった。さらにマズいこと、この意思が言葉や行動に出てしまうと、たいへんよろしくないらしい。

今まで実際に言われた言葉で覚えているのは「ぬるい」「責任感がない」「学生気分」「ガキくさい」「やる気がない」「逃げてる」だった。仕事は労働ではなくて精神性も捧げるのだろうかと考えたりしたけれど、実際そこに身を置いてみるとあまり意識はしないかなと思う。言われる言葉はごもっともだ。ただ、私より仕事ができる人たちがプライベートを捧げても仕事が終わらない様子を見るに、新卒の私が同じように仕事して勤務時間内で終わることは到底想定しにくい。これだったら全然出世したくないし、学生時代に「社会を知らない」とマウントを取られてきた「社会」の指す現実が「これ」なら、収入と幸福度を天秤にかけて、アルバイトがのが良いなと思うほどである。

 

わたしは社会的責任を果たさないクズ。らしい。さっきから「らしい」を多用しているのは、驚くことに全くクズの自覚がないからだ。

労働に対する姿勢が「正しくない」ことに人は好感は持つまい。わかっていながら自分で受容欲しさにポロポロ零すと、それが結果的に失言をに繋がる。やる気がなさそうな人間と、「やる気がない」と自身で発言する人間はもはや別者だ。こうしてネガキャンに繋がる。言及する権利をばら撒いて怒られる。

そりゃ、頑張りたい人たちからすると場の一体感を阻害している人間がいたら快く思わないのは当たり前だ。どうか許してほしい。わたしは要領が悪くすぐ忘れる、凡ミスばっかり。使えない人材の仕事を評価できないのであれば自然と精神性で酌量を考える人も多いだろう。それがこの有り様だと上記の言葉が出てくるのも心の底から納得できる。

 

書いてて苦しくならないか?

実際、働いている最中が一番つらい。朝10時から正午までの間が一番つらい。仕事、向いてない。だけど今すぐ辞めたりはしない。そもそも労働なのだから。就労して、賃金をもらう。それ以上でも以下でもない。

 

今回日記を再開しようと思ったきっかけは3つある。

皆が話している「仕事」「お金」「恋愛」の話だ。

 

次回、大きなターニングポイントがあれば、いま付き合っている恋人との話を書こうと思う。

 

状況は悪い。しかも今しばらくで冬が来る。長く、冷たく、苦しい冬だ。どうせ今年もぶっ壊れるので、苦手な3つの話から、逃避の成れの果てを記録できたらいいなと思ったのだ。

 

美しさを集める遊びしたい

 

自愛は形を問わないから生産性がなくてもいい。

そういうわけで、いま絶賛モラトリアム、破壊衝動真っ只中の2拍子です。

 

それではごきげんよう、明日は「日記」が書けますように。

日記 2022年4月1日 金曜日

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なんか写真が載せられないので大学一年生の春の写真を


日記 2022年4月1日 金曜日

 

 今日はエイプリルフールだと気付いたのは18時を回ったところだった。私は時分のイベントが大好きで(自分の使い方あってる?)、出来るだけ季節の行事には参加したいのでエイプリルフールにちなんだ嘘をつくのを忘れていたことを惜しく思った。

 

 新生活が始まる。面白い夢を見て目が覚めた。普段見る夢は大体苦しくつまらないものばかりだけど今日は違った。イラストレーションに私の絵が載っていて、興奮して友人に電話したものの、電話をつないだ瞬間に「これは夢ではないか?」と気付き(強烈な眠気に襲われた)、「夢かも知れないから(試しに)もう一回寝るわ」と自分勝手に電話を切り、夢の中で再び夢を見る…というインセプションのような内容だった。起きて最初に思ったことは幸先が良い、ということだった。それはさておき。遅刻してはならないと思うと何故か早起きできる。目を覚ましたのは大体5時くらいで、そこから二度寝するか、早めに支度をして喫茶店で一服するかどうか考えあぐねていた。結局二度寝して8時半ごろ起床、猫とベランダで日光浴したりしてから家を出た。

 外の陽射しが気持ちいい。桜もきれいに咲いていて私の門出を祝ってくれているようだ。入社式は問題なく進み、研修とライドも無事終了して速攻で三宮に戻った。今日は久しぶりに三浦に会うのだ。三浦と質のいい洋食屋でビフカツと葡萄ジュースを楽しんだ。その後お気に入りのジャズ喫茶に久しぶりに足を運んだ。金曜日の選曲はマスターのチョイスらしく、私たちは各々に興奮しながらシャザムをかけてさまざまな話をした。ジャズ喫茶に行きたかったのはTMGEのサブリナヘブンにジャズの要素が入っているというのがきっかけだった。三浦はたいへん趣味がよく合うので話したい話をすることができた。なのでアベフトシに心を奪われているんだよね…という話もした。

 ジャズ喫茶で手紙を書いた。父と母に感謝を込めていろいろ書くつもりだったが簡潔な文章となってしまった。だけど、気持ちは込めた。改まって何かを伝える機会はなかなか訪れないもので、今日しかないかなあと思いデバートで上等なレターセットを購入した。帰宅し、それぞれに手紙を渡した。

 総括すると、とてもロマンチックな一日だったと思う。人生の節目にあるだけに激動であったが、人の手を借りずに特別な演出をかけることができたのは幸いなことだ。再びだが、幸先が良い。コントロールできている。嬉しい事だ。

 明日からの人生があんまり想像つかない。想像つかないながらにいろいろ妄想するが、きっと私は本をたくさん読み、こうして日記を再開していくんじゃなかろうか。

キリが悪いけれど、明日も早いので今日はこのくらいにしておく。今日も一日お疲れ様でした。

 

 

モラトリアムおわり

モラトリアムおわり

 

2022年3月31日

 

人生最後の春休みも終わりを迎える。

大学生らしいこともしないまま、それなりに労働に勤しみ、だらだらと過ごした。

完全に惰性だった。仮免も取得してから3か月以上経ち、交通法のあれこれも完全に忘れ去ってしまった。

実際、春を待つ間は毎年こんな感じで鬱に悩まされながらも地道に生きている。緑が生い茂らない季節に知らない土地に訪れても“元来の”魅力が半減しているように感じてしまうので結局神戸から出ないままでいる。

健康的な身体に恵まれているとはいえ、今年は特に抑うつ状態が酷かった。去年に恋人ができたので愛の力でこの冬を楽しく乗り切れるのではないかと期待していたが、実際はあちらの多忙により正念場の3月に全く会うことができなかった。恋人に時間を割いてもらえなくなった私は脳のあちこちで説明できないようなバグが起こって、思考が完全に停止してしまったのだ。この日記を書いている今も使いたい言葉の半分も出てこず、固くなった頭を必死に回そうとしている感覚がある。

毎年恒例の冬季鬱真っ只中の私なら迷わず死を選択していた所を、恋人のために生きているなら死ぬことは諦めた方が相手の為になっていいんじゃないかと死の欲動以上にメサイアコンプレックスが働き「死にたい」と直接的に思うことはなかった。絶望の裏側にはただ虚無が広がっており、エロスとタナトスの反転も起こらない。要するに、死という臨界点がなければ絶望の底に触れることもできず、「死んではいない」だけの状態になってしまったのだ。

私は愛に生きる人間だと公言しているけれど愛の実感は相手が居なければ得られないので、終ぞや何のために生きているのかさえ分からなくなってしまった。どのような異常が起こっているのか把握することができないからには、問題解決の糸口さえもつかめない。どうやら私は愛に生かされ、また、愛に殺されようともしていた。

また、恋人との相互理解にも問題があった。元々お互いの性格の相性は極端に合わず、理想を追い求める私にとって恋人はあまりにも現実的すぎた。

 

あーついに 愛してしまいました 普遍的な男を

一人の人間として接してくれることで、私は自身の思考回路に異常な偏りがあることがわかった。恋人からは隷属する喜びとは別の選択肢を提示してくれたように思う。とはいえ、これは個人の戦いでもあった。急に自立することを求められることと、現実的な恋人に大義を捧げられないのは大きな課題だった。恋人には「自分を大切にすること」と口酸っぱく言いつけられてきたが、どうやら私の生きる喜びが私自身を大切にすることと結びついていないらしい。私にとっての最上の喜びは身を削って大義に尽くすことで、私自身じゃなく私の行動を評価してもらいたい。その為なら手段を厭わないし、何でも犠牲にできる。性格上の不都合と、「会えない」という現実的な問題による愛の配給がないことから、いよいよ私は参ってしまった。

 

自ら孤独を選ぶことで真に自由になれた気がした

午後0:30 · 2021年10月31日·Twitter for iPhone

 

反転(仮称)についてすこし明らかにしておきたい。いつの間にか私は絶望に鮮烈な快感を覚えるようになった。V字回復、堕天(堕転)、臨界突破_既存の近しい言葉から形容することを試みたが、表しようがない。エロティシズムの実践で体現することは容易いが、どうにか齟齬なく人に伝えられたらと思う。この快感は全能感に近く、私にとって生を感じる最上級の体験なのだ。神からの啓示_いわゆる宗教的体験がこのようなものなら、宗教のシステムほど魅力的に見えないものはない。思考回路をフローチャートに落とし込んで、どんな障壁も怯えずに立ち向かえるような活力が欲しい。あわよくば愛を自己完結にして、代わりのエネルギーを自家発電できるようになれたらいいのに。

そうして私は年末辺りからカスタマイズ宗教を捜索し始めた。愛を救済には充てられない。なぜなら愛は生の実感としては二次的で、対象がなければ成立_自己完結しないからだ。救済と思っていた昇華の領域は権威が備わっていなければならない。また、芸術とは他人に評価されることで始めて成立する。愛と同じだ。カスタマイズ宗教を創造したところで正気に戻ったらおしまいだ。課題はある。矛盾しているところが多すぎる。だけど多くは望まない。ルーティンでいい。信条があればいい。祈る対象があればいい。自分の中で意義があって、厳かに取り扱えるものであればなんだっていい。

 

閑話休題

明日は入社式なのでペディキュアを落とし、爪を切り、こうして日記を書いている。

学生最後の春休みは、明石海峡大橋で過ごした。高架下のカフェでスナップを撮ったり、TMGEのサブリナヘブンを聴いたりした。親からプレゼントをもらった。私が自分の卒業祝いに買ったジュエリーブランドと同じでドキッとしたけれど、ネックレスだったため被らずに済んでよかった。親と顔を合わせて真面目な話をするのに慣れていなくて全員でアハハと沢山笑えたのはいい経験になった。

区切りは大切だ。明日から社会人だ。自分で責任を負えるようになって、ようやく一人前になれる。いいことだ。社会の一部になれば生きてて良い理由もきっとすぐにあやふやになってぼんやりと寿命を消費していくのだろう。それが幸せの形にぴったりとはまれば、私はこの希死念慮とうまく付き合っていけるのだろうな。私はあと何年夢を見ていられるのだろう。

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ビーチコーミングしたがすぐに飽きてスケッチした

 

日記 2021年10月14日 木曜日

日記 2021年10月14日 木曜日

 

 明日で22歳になる。こんなに長く生きているとは思ってなかった。老いたなあと感じる私の精神年齢は一体いくつで止まっているんだろうか。21歳は好きだった。というか21という数字を気に入っていたのだと思う。22は安易でつまらない数字だなと思う。23,24を楽しみにしたい。

 

 この歳を振り返って__…ロードバイクを購入したことで大きく人生が変わったなあと感じている。間違いなくハイライトだと思う。どこへでも行けるわけじゃないけど、どこへだって連れ出してくれる。私の心の支えにもなったし、大体のこころの問題は解決することができた。自傷よりもストイックで、孤独よりも解放的だった。私の人生の中で新しい選択肢が生まれたのはとても素晴らしいことだ。

 悲しいこともあった。なかなか就職先が決まらないこと。一度妥協で決めてしまった時に「社会とはそういうもんだ」と自身を説得しておけばよかったのかもしれない。面接の採点基準もよくわからない。私は話すのが人一倍うまいと自負しているけれど、装うことはうまくない。思想の強い人間は扱いにくいと感じるのか、自我を出した瞬間に落とされてしまう。本当は大学院に行きたいんだよなあ。フリーターでコツコツ貯めて勉強して…みたいな生活を2~3年くらいしたい。絵も描けなかった。絵を描きたい。

 

 閑話休題

 

 毎年、誕生日よりもその前日を大切にしていて美術館や植物園、映画、絵を描いたりイベントに参加してその歳を締める作業を楽しみにしていたんだけど、今年はそういうわけにもいかず、金を稼いで卒論を進めていた(進まなかったが)。せめてなんかないかと考えて桃花という名前だし自分に花束でも作ってやることにした。花屋を2軒回って、1000円ずつ使った。しかし肝心の花束づくりが体力の限界ぽくてかなり難しいんじゃないかと気を揉んでいる。そもそも花束を自分で作ったことないわ。センス問われるなあ。

 今日作った花束が、明日もその次の日も存在していることはなんだか不思議な感じがする。「締め」作業のつもりだったけど、繋げていく作業だったみたいだ。

 

 ところで、寝不足で頭が痛く、妙に関節が痛い。昨日髪の毛を乾かさずに寝たから風邪を引いてしまったのかもしれないし、昼食に慣れないジャンクフードを無理して食べたからかもしれない。明日は早くの時間に家を発つので、来週の私には申し訳ないけど卒論は任せよう。追い詰められたら強くなれる子、頑張れ。

 

日記 2021年10月4日 月曜日

日記 2021年10月4日 月曜日

 

 2年ぶりくらいに壁を殴った。限界が来ていた。表面上の体裁を保つためにできるだけ殴らないようにしていたのにこのざまだ。

 今ここで助けてと叫ばなければ誰も私の苦しみに気付いてくれないんだろうなと思う。コミュニケーションの限界から他人に干渉されたくなくて、「やってられま千円」と茶化したり、できるだけ「ふつう」を装ってきたけれどもう駄目だった。目の前にいる人に対してどれだけわかって欲しくても_言葉を紡ぐことさえできない。いざ人に話そうとするとそこから動くこともできない。人に救済を求めてはいけない。わかってる。

溢れるほどの憎悪の感情を排出すべく全身に力を入れる。吐き気さえ感じるほどなのに、手足は冷たく石のように硬い。自分を責める声に黙れと叫び、破滅の欲求を押し殺して震えて泣きながら_…秒針を眺めて時間が過ぎることだけに集中する。口呼吸。下を向いて涙を落とす。とてつもない苦しみだ。身体的な痛みに置き換えた方がましだ。死んだほうがまだましだ。誰かに、死ねと言われた方がずっと楽だ。喉元過ぎればなんとやら、しかし熱が冷めればたちまち鉛となって私の身体を重くさせる。

本当は_なぜ辛いのかなんて言葉にしたくない。病巣を明らかにしてどうするつもりだろう。何故傷つけられたのかなんて誰が知りたいと思うのかな、凪いでいる海に隕石をブチ込むのは私でしかないっていうのに。なぜ辛いのかわからない課題をクリアしたところで、今度は人に理解されない苦しみへとステップアップするだけだ。

なぜ辛いのかではなくどうお辛いのかという話だけど、まず通常の状態でいられない。沸騰直前のぐらぐら煮えた湯のように自身の輪郭が曖昧になる。気を抜くと発狂してしまいそうだった。もはや私のコントロールの利かないところに身体はある。そのため、私が私の形を保つために、痛みを与えて身体の限界で枠を作る。抑えるやり方はこれしか知らない。生の実感とはよく言うけど、愛おしさとはかけ離れていた。より私の生は祝福されていないのだなと感じる。

苦しみを形容できるうちはキャパシティに空きがあると思い込んでいたけれど、徐々に心が壊れていく感覚はあって私はそれを眺めることしかできない。苦しみの波が来る度にどうにかやり過ごすことだけを考えて_そうすると他に何もできなくなる。それが過ぎると精神的にも体力的にも完全に疲れ果てて眠り込んでしまったり、タスクを見送ったり…。苦しみを中心に生きているのだと思う。生が遠く離れた場所にあるからこそ、生を追い求めてもがいている。こんな空しい話があるか。昇華の瞬間に立ち会うことが救済になるならば、私はこのヘドロの道で生きることが常となる_悪循環だし、不健康だ。許されたい。この苦しみから解放されたい。逃げ遂せた先で、平穏な暮らしを手に入れたい。

残念ながらこの話にはヤマもオチもない。これは現状打破ではなく現状維持の話だ。いま、部屋の窓を開けているのだけど、隣の家から茹で上がったパスタの匂いがする。どうやら今日はミートソースらしい。できることなら私もサッサと逃げ出して、何に怯えることもなくその味を堪能したい。

 

例に漏れず最近ずっと「問題は解決したけど自分の感情と向き合わないと自分が終わってしまう」感がすごくてな〜謝ったから許したとかなかったことになるとかに耐えられないんだ

午前0:13 · 2021年10月3日·Twitter for iPhone

 

誰かに話しても共感してくれるのは一握りだけだし1人でシクシク泣いてるのが1番良いんだろうけどこの空虚な感じ本当にやだな、冬になったらもっとダメージでかいと思うと余計にしんどい

午前0:16 · 2021年10月3日·Twitter for iPhone

指輪の話

 

不満はない。ただ、耐えられなくなるだけで。定期的にどこかへ行きたくなるというより「飛びたくなる」のだ。

久しぶりにニューオーダーのMusic Complete を聴いている。この身体をどこへも連れていけないなら、記憶の欠片を辿って過去を旅すればいい。

 

 

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指輪の話

 

私には大学1回生の頃から(正しくは高校2年生の冬辺りから)小さな指輪をつけている。元はチャイハネみたいな雑貨屋に投げ売りされていた100円のピンキーリングを願掛けにしていた。その指輪に命を懸けていた。

 

時は流れ、大学1回生のときに指輪を買い直した。シンプルで上等な品だった。ピンクゴールドは肌の黄色い色によく合った。着ける場所に意味を持たせてしまっていたので、右手の小指から薬指の第二関節に変えることにした。風呂に入るときも、眠るときも、外す必要があるとき以外はほとんどそれを身に着けて生活していた。願掛けという役割が無くなってからも指輪は私の精神の拠り所だった。そのため、たまに紛失して正気を失うほど動揺したりしていた。

命の次に大切なものだと思う。4年の歳月を共にしたというだけでも、私にとって「4年間肌身離さず」という私自身を説明できる要素として重要な役割を果たしていた。私自身で自分の価値を証明できない以上、私は身に着けるもの、纏うものに委ねがちだった。

 

 

そして現在_…4年経った今、もう解放してやっても良いんではないか、と自分を諭す機会が多くなった。きっかけは指が痩せたことだった。ふと気付くと無くなっている。最初こそ顔面蒼白になりがらも来た道を戻ったり鞄の中やポケットを探って死に物狂いで探していたが、大体物を取るときにスルリと指から抜けてしまうため、買い物袋の中に入っているのだ。指の感覚への注意が欠けてきているのかと思ったが、指が痩せたからだと明確に自覚したのは3日ほど前で、ほぼ毎日風呂で頭を洗っているときに大体髪の毛と一緒に流れていってしまう所にあった。

 

私はこの指輪をどうしたいんだろう。購入した日のことをよく覚えている。まだ桜が咲いていた春の夕方だった。「着けて帰ります」と早足に店を後にしてバイト先へ向かった。労働終わりに夜の公園でオレンジの街灯に照らされた桜の花びらと買ったばかりの指輪を交互に眺め、「これから先の一生を共にするんだ」という覚悟にも似た感想を抱いていた。

 

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写真が残っとりましたわ

 

こうして思い出を振り返ってこれからを模索していくわけだが、結局私にとっての「特別」が生活に馴染んだところで身に合わなくなってしまったというそれだけの話なのだ。よく外れるのが不便だ。だからといってずっと装着したいと思うほどの思い入れは失われてしまった。愛着は歳月をかけて育むはずだけど、なぜか4年という節目を迎える時には…というオチだった。

 

そもそも第二関節に指輪を着けている人間なんて珍しいものだから(諸説あります)、それは私のアイデンティティにも繋がっていたと思う。関わる人たちが、少しでもその指輪に関心を向けてくれたらいいなと期待していた。

右手が痩せたなら左手はどうか、と思索したことはあった。試しに反対側へ移動させてみると、あまりの違和感に10分も着けていられなかった。4年かけて一体化させたのか。と、生活に深く根付いた指輪の「どうしようもなさ」に改めて打ちひしがれていた。仮に左手への移動が叶ったとしても、左手の薬指がもたらす社会的な記号の影響力は計り知れない。その都度説明しなくてはいけないと思うと気が重い。

 

つまり、私は指輪_ないしは精神の拠り所がなくても生きていけるようになったのかもしれない。明けない夜などないが、暗闇の中で他の誰でもない私の声に殺されそうになった時、在るべき死の強迫観念から来る恐怖に歩けなくなった冬の夕暮れ、私は確かに縋っていたのだ。救済が指輪という形をもっているのは有難かった。宗教に詳しくないのだけど、神職の人が持っている数珠や十字架と似たような役割があるのではないかと思った。第二関節の感覚に生の実感を集約すると、安堵することができた。

 

話は変わるが、ここ数ヶ月日記を書いていなかったのだけど、それも関係あるのかもしれない。「書かなかった期間」の中での変化は把握できない(記録として残していないので)。夏季休暇のあいだ、大学生活の中で一番本を読まなかった。そして、一番本を読みたいとも思った。一度歩みを止めることで進む方角が定まったりするものなのだろうか。功を奏すかどうかは私の頑張り次第だろう。日記を書いていないわけではなかった。書ききれなかったのだ。どうしても自分自身の苦しみに関心を寄せることができなかった。「どうでもよかった」のだ。そうして、ようやく念願の生きづらさのない「一般人の感覚」を体験することとなったが、問題の解決自体には繋がっていなかった。ひと夏の夢のようだった。生きづらさの根源には孤独が横たわっているのだと改めて痛感した。

 

もう夏は終わっている。これから実りの秋へ、そして孤独や寒さを耐えて過ごす冬が訪れる。夏季休暇が楽しかった分、年度末へ向けて襟を正して生活していかなくてはならない。頑張りますと口だけなら何とでもいえる。まずは本を読み、学生の感覚を戻していきたい。

 

メモ

 

私のことを誰も知らない何処か遠くへ 遠くへ

(2021年8月31日 時間不明)

 

 

 

日記 2021年4月10日 土曜日

日記 2021年4月10日 土曜日

 

 朝起きてまずウーンと唸った。起き抜けにプレッシャーを感じるのは気が滅入る。昨日も朝一に就職活動のweb面接があってそれがダダ滑りしたこともあり良くない状況にいた。

 メイクをしてアピールしたい要点をメモにまとめ、出来るだけ「ありのまま」を伝えないように、何も知らないふりを_…。朝餉にコーヒーと甘いドーナツを食べた。コーヒーを飲むとカフェインの作用で手が震えるし腹に鉛が溜まったみたいに重たく感じるし口は臭くなるしデメリットは沢山あるけど、欲が無くなり冷静になれる。なによりコーヒーは美味しいのだ。

 面接はまあまあ脈アリといった感じだった。それが午前11時頃だったのでレタスを買いにスーパーへ歩いて行った。昨日駅でレタスを見て匂いを嗅ぎたくなってしまったのだ。家に帰って庭でハーブを摘み、レタスとフェンネルのスープを作って食べた。最近食事を美しく彩るのにハマっている。まあ←は大体習慣になっているけれど、時間の余裕とストレスからの逃避、なにより節約面で大きな効果があった。

 

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おいしかった

 

説明会を視聴しながら美容院を予約した。就活スタイルのあの髪型はコテを使えない。すなわちそのままの髪質で勝負みたいなところがあって、ぼさぼさで毛先が伸びっぱなしの今の髪形はえらくキショいなと思っていたのだ。毛先はぱっつんにしてもらう。

予約の時間まで三宮でウロチョロした。本当は購入しなければいけないものが沢山あったけど、ありがちな「なんか急によくなるやつ」が襲ってきてま~月曜でもエエかと思った。趣味のオタクショップに物色しに行くと土曜日なのでえらい人だかりができていて若干安心した。するとどうだ、ラインナップが微妙に良くなっているではないか…。

私の好きなアニメは個人的に「準オワコン」位置にあって、黄金期を過ぎ骨をそのジャンルに埋めると決心したオタクで構成されていると考えている。そのため正規品を取り扱うオタクショップには在庫がないが、中古オタクショップには激安でそれなりのグッズがあるのだ。とりあえず二次創作物でおなじみの同人誌を漁り、封のされていない本5冊をチョイスした。安ければ一冊100円~300円が相場だがレジを通すとセールで5冊200円だった。卒倒してしまいそうになった。

そして、驚くことになんとオキニのオタクショップのアウトレット専門店がオープンしていたのだ!私は目を血走らせてその店に向かい、鼻息を荒くしながらその店を物色して回った。掘れば掘るほど出てくるアニメグッズに準オワコンジャンル様様だな~と思いながら3点購入した。ほんとはもっと探していたかったけど予約の時間が迫っていたのだ。

 

美容院で毛先を横一直線に揃えてください。とお願いして30分くらいで終わった。毎回美容院では緊張してしまって疲れる。シャンプー中の決まり文句でもある「痒いところないですか」質問に、「ないです」以外の返事を思いつけない。店を出るときにラインを確認したら三浦から寿司の誘いが入っていて速攻でスシローに向かった。

スシローで話したことはやはりオタク話なんだけど、この間までわたしは3次元(いわゆるナマモノ)で三浦は2次元だったり2.5次元だったりしていたのに今は逆転の状態にある。その中で共通するオタクあるある話で盛り上がった。

 

~二次創作地雷あるある~

 

・特徴的な話し方をするキャラクターが打つ文章(主にラインやメール)が話し言葉そのままなこと

理想「Aチャン可愛い所もあんじゃナァイ!」→「Aちゃん可愛い所もあるじゃん」

文面ではさすがに標準語を話していて欲しい。ラインで打っている文章が話し言葉そのままということはそのキャラクターが自分の口調を認識(自覚?)できていることに繋がる。パーソナリティの話まで飛躍する由々しき問題だ。「どつくぞゴルァ!」みたいなのは「どつくで」くらいにとどめておいて欲しい。

 

・国籍が違い、言語も違うキャラクター同士が会話やメールをしている時、急にギリギリわかるネイティブな単語を繰り広げてくること

例 「こんな日には映画を楽しみたいものだね。et toi ?」

エトワが出るまではどの言語を話していたのか急にわからなくなる。当たり前に表記は日本語だが、実際には英語を喋っているというのは二次創作において十分にあり得るのだ。ならば相手に気を遣ってやれよと思うのだ。決め台詞や独り言ならまだしも今は会話をしているというのに。

 

・普段名字で呼び合っているのにセックスしている時急に名前呼びになるやつ

満場一致で地雷である。自分のパートナーがもしそんな奴だったら気持ち悪すぎる。名前を呼んで欲しいと相手が望むのならまだしも、急に名前呼びはマジで意味が解らない。名前を呼ぶ=性的なトリガーみたいな役割になるのもなんか嫌だ。普段別の呼び方をしなくてはならないのっぴきならない事情があるというのなら、その相手との関係性を今一度見直すべきではないだろうか。呼称を変えることで差別化を図るのではなく、普段から読んでいる名前を親しみや愛情を込めて呼んで欲しい。

 

・情事のリップ音や喘ぐ声の全てを「」内に収めてしまう、また、半角カタカナが登場する

これはもう説明は要らないのでは。

 

他にもまだまだ沢山あると思う。腐女子地雷あるあるは結構面白いのでまたオタク友達とやってみたい。が、私にオタク友達は少ないので今いる友人を大切にしていこうと思います。

 

あとは買ったグッズを見せたりサーモンばっかり食べたり、あとバイクの相談もした。家に帰ってから意志の固いうちにとTREKを予約しておいた。Bianchiと迷ったけれど悔いのない方がいい。入荷がなんと先週見た時より6ヶ月延びて22年12月に予定されていた。マジか~…マジか…。でも…。うう…。まあ、TREKのことは直営店に行ったりしてまた検討しようかな…。

 

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髪を切ったワシです

 

明日はサイクリングである!週末しかバイクに乗れないので本当に楽しみにしている。本当は毎週サイクリングに行くつもりだったが、私の予定の空いている日が何故か必ず雨だったのだ。土日のどちらもが晴れているのは実に6週間ぶりになるとニュースが報じていた。楽しみだ。

 

追伸

購入した同人誌があまりにもよすぎてこれが全て揃って200円だと思うともうウワアア~~~と胸が苦しくなる。

私は萌えた時にいつも脳内で旗を振り回してその場を全力で走り回り叫んでいる妄想をしているんですがみなさんは萌えた時どんなふうになりますか?

メモ

 

ただ知識不足からの認識のズレが問題な点もあって、「コミュニケーション不足だからかも知れないです」って言うたら山口先生が「さばちゃん大人になったねえ〜」って言うその声音の優しさが、我が子を見守るそれのような暖かさを含んでいて思わず「せんせ〜〜〜!!!!」と言いかけたりした

Fri 5:51 pm