日記 2019年10月15日 火曜日

2019年10月15日 火曜日
わたしの誕生日

 

慎ましく生きようと何度も思った。
慎ましさがいかに大切かよくわかる一日だった。

 

朝起きるとリビングにまだ温かいタルトタタンが置いてあった。
振り返ると母に「お誕生日おめでとう」と言われた。

 

昨日の夜、20歳になったんだとiPhoneの時計を見て思った。
死んでいなかった。本当に死ぬと思っていたのであっけなかった。
体が重かったので逃げるように眠りについていた。
…ということを思い出しながら、昨日買ったぶどうジュースを冷蔵庫から取り出す。
前にイイとこでランチを食べたら飲み放題だったので、小さなグラスで3杯のぶどうジュースを飲んだのだ。
綺麗なグラスに少しだけ注いで時間をかけて飲むことの特別感を誕生日に味わいたかったのだ。
家のグラスに注いでみるとちょうど3回に分けて飲むことができた。
想い出を掬い上げる。

 

部屋の掃除をして、12時くらいに母とランチに行った。
ずっと「高校を卒業したら」「大学に入学したら」「成人したら」と引き延ばされ、近所にあるというそのお店の存在を知らされずにいた私は、正体を目の当たりにしたとき、「ついに成人したのか~と実感した。」

 

母といろんな話をした。わたしも特別な店に母を連れていきたいと言ったとき、
「人生の中で一番おいしいと思ったお店」と言うと、
母は「お母さんはここが人生で一番おいしいお店」と言った。
特に深い意味はないのかもしれないが、すごく切なくなった。

 

どの料理も特別美味しかったけれど、焼き立てのパンと無塩バターがありがたすぎて6個も食べてしまった。慎ましく生きてくれ。

 

食べ終わった瞬間アッサリと解散して、大阪に向かった。
本当はTRANSを見に行こうと思っていたけれど生憎火曜日は定休日だった。
たまたま今日の服に太陽の塔のピンバッジをつけていたので、民博へ向かう際に実物の前を通り過ぎた時の恥ずかしさと言ったらなかった。

 

民博の感想
たのしかった!時間がなかったのでまた行きたい。常設展ものすごく広い。そして日本の多文化性に舌を巻いた。

 

特に大阪には用事がないのでさっさと帰る。
ふと、自分へのプレゼントを買っていないと思ったので欲しいものがないか考えを巡らせてみたところ、よく行く古着屋にあるコート(薄くて緑っぽいちょっと目立つやつ)が浮かんできたので、行くか迷ったけれど閉店ギリギリを攻めた。
すると店員さんがいつもの人ではなく、「あれ、変わっちゃったのかな」と思ったらその人の後ろからお兄さん(いつもの人)が出てきて一瞬にして理解する。「あかんやつや、」と。
そしてコートはなく、いつもなら他に何か探して買っていただろうが、恋人の前で長居はできぬ。
しかもなぜか「ななみちゃんが「さばちゃんって来てますか?」って言ってた」と言われ背筋が凍った。しかもそいつがコートを買ったらしい。
マジ?私この店のことをSNSに載せたりしていないのだが。
ともかく変な話は避けてはよ退散しようと思ったのに墓穴を掘りまくり、まるで逃げるかのように店を後にした。
小西さん。慎ましく生きようね。

 

家に帰るとケーキがテーブルの上に。父はいつもTAKANOのケーキを買ってくるのだけど、今日はアンリだった。えー!
そして待ちに待ったイクラ丼…うれしい、おいしい。
ケーキにろうそくを立てて家族で歌った。楽しかった。

 

おなかいっぱい食べた後に撮ってもらった写真を見て驚愕
なんだこの肉団子は!
そこから妹にたくさん私の写真を撮らせた。
いや~脳が補完しているんだろう。こんなひどい顔面でグイグイいってはいけない。
慎ましく…

 

あ、そうだ。大学院に行きたいと母に言ったところ、支援はしてもらえなさそうだったので卒業までに300万を貯める計画が発動した。
一ヶ月に12万ずつ貯めなければならない。並大抵の努力じゃ叶わないだろう。
夢のために慎ましく生きるのだ。

 

てなわけで、大人になった暁には社会的責任を負う義務があるので、発言や行動に慎ましさを持たなくてはならない。
今までの私なら欲しいものは這ってでも手に入れたいという強欲な精神を存続させていたかもしれないが、大人になったら訳が違う。
あとは「誇り」
誇りがなければこの時代は生きていけない。何事であっても。
それは「やりがい」からくるものなのかもしれない。
ともかく、慎ましく生きる場合他人に評価される機会が減ると思う。自分で満たしてやらなければ。

 

あ~、「当たり前」に感謝しないといけないなあ。
やっぱり親…。本当にありがとう。


お風呂から上がって、すっぽんぽんのまま猫に触れるといつもは噛みつくのに喉を鳴らして目を細めていた。いとおしい。

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これはきょうの猫ではない。いつもこんな感じ。

明日も頑張ってね。

日記 2019年10月14日 月曜日

2019年10月14日 月曜日

 

体がだるく、重たかった。
昨日の夜突然目が覚め、死んだ大切な人のことを思い出して布団の中で泣いた。
そのせいかもしれないし、気圧とかの問題かもしれない。

 

傘を持たなくても大丈夫な体質(なぜか雨が降らない)なので、そのまま家を出る。
遅刻は確定だったので、なんとなくスーパーによって牛乳を買った。
一か月以上飲み続けていた薬は牛乳との相性が悪いらしく、朝に飲むことは許されなかったのでたいへん嬉しかった。

 

講義中は原発の勉強とキアヌ・リーヴスの似顔絵を描いて過ごした。
原発のこと…
維持・拡大派であったが、これ以上は無理だと思った。
これが別の国ならまた変わっていたかもしれないけど、日本は狭い
それにお金と安全、後世に押し付けるリスクのことを考えると釣り合いが取れない…
科学の発展と代替エネルギーの確保を祈るしかないな。(ツイッターより)

 

14日、つまり今日は19歳最後の日なのでイエローモンキーのカナリヤを歌いにカラオケに行ったけれど喉の調子が悪かった。
全国ランキングみたいなのにたった3人しか登録していない曲で1位を取る。
大人げないなと思った。

 

あとはなんか…
晩御飯に一人で寿司を食べた。4皿まで!と決めて入ったのに7皿食べてしまった。
生まれてはじめてほぼ脂身のサーモンを食べた。
家に帰ると大量の寿司があった。これが人生なのか。

 

キューミリパラベラムバレットの良さを再確認した。
わたしのギターヒーローである滝さんを19歳の描きおさめ、そして20歳の描きぞめにすることに。お、なかなかいいぞ。

 


0時まであと7分 有意義になるよう詩でも書くか

 


19歳の詞

 

風呂にて怪我をするとかさぶたができない
夜が明けても桃色のササミが血の管を覗く

 

回転灯の光は歯磨き粉の味に似ている
あと一歩届かない満月のように
あと一歩届かない満月のように
あと一歩届かない満月のように

 

瞼に触れてやろう
星がはじけたような光でせわしなくまばゆい
薬指の指輪はひかりの手綱
その輝きを見よ
燦爛とした煌めきを身に纏え

 

夕陽に照り映えるプラチナを
熱が冷めゆく硝子の欠片を
骨を掠める桜の唇の音を
天つ風に揺れる光と影を

 

変容を愛せ
揺らぎに揉まれ、ビーチの砂になれ

 

わたしの経験は、わたしだけのもの

 

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もうすっかり1時です
二十歳、生きると決めたならやれ。
んで絶対に負けるな。

 

明日も頑張ってね。

日記 2019年10月13日 日曜日

2019年10月13日  日曜日

 

昨夜、日記を書き終わった後にマニキュアを塗ったが、さあ寝るぞというところで左手の親指がグチャとなってしまったので朝8時ごろに起きて塗りなおした。

 

ニャンが「ニーニー」と鳴きながら部屋に入ってきた。
よく見ると捧げもの(フクロウのぬいぐるみのこと。おそらく家の中で唯一毛が生えているぬいぐるみで、留守にしていると必ず玄関においてあったりする。小西家の中では、捧げものは何らかの意味があると考えられている。)を咥えていたので、ベッドから降りて抱きしめてやると、喉を鳴らして喜んでいた。

 

10時ごろ、マニキュアが乾いたっぽいので風呂に入って丹精に剃毛したりなどした。11時半ごろ、家を出る。鍵をなくしていることに気が付く。急いで出たので服が毛だらけだった。駅でガムテープを買ってペタペタと取っていく。

 

今日は少し早めの成人祝いということで叔母にランチをごちそうしてもらった。
コースを食べるのはたぶん2か月ぶりで、とても美味しかった。特に盛り付けが美しく、味は緻密で繊細、しかし濃厚で大満足だった。
香りにたくさんの発見があり、「初めて食べる味だね」と何度も交わした。
焦げ、とか、皮の乾燥した香ばしさがこんなにもアクセントになると思っていなかった。しかも全然くどくないのが良い。パンはメゾンムラタのもので、付け合わせも2種類あった。大興奮。思い出せるだけ感想を書いていくことにする。

 

アミューズ
3種類あった。その中でもお気に入りだったものの感想→
人参とオレンジのムース、コンソメゼリーが上に乗っかっていてウニが隠れていた。口の中で溶けてスープになって、最後にウニの匂いが鼻から抜けていくのがたまらなかった。

 

前菜
すごく複雑で難しかったけれど、それを遥かに凌ぐ美味しさがあった。とくにビスクのムースがおいしかった。ヨーグルトのソースが爽やかさを引き立てていたし、メレンゲは甘かったけどしつこくない。一番奥にあるエビは今まで食べてきた中で一番甘く感じた。
網に乗せられたエビの頭が出て来た。レモングラスのアクセントとエビの香ばしさがこんなに合うとは思っていなかった。すごいすごいと何度も言った。

 

魚料理
鰆がおいしかった。大根のソースは濃厚だった。4年前?に京都で食べたコースのスープと同じ味がして懐かしかった、キノコのソテーも肉厚で、米油に漬けていると聞いて驚いた。これがひと手間なのか。それにしても、味って匂いで決まるんだなと身をもって感じることができる。

 

メイン
爽やかな鶏肉。脂身がないのに肉汁がすごい。ポップコーンを砕いたらしいものは何の意味になるのかわからないけれどとても美しいなと思った。いや、だから美しくあるために砕いたんだろ。なんだそれ。マッシュポテトはミルクの味がする!!トリュフが入っていてなんとも贅沢だった。

 

デザート
栗のパンケーキ 蜂蜜のクセが強くて病みつきになる。おいしい!
プレートにハッピーバースデー桃花と英語で書いてあった。照れた。

 

食後のコーヒーとお茶菓子
大きな箱がやってきて、中にカヌレとフィナンシェ、ライムソースのチョコレートがあった。小さなシャベルでカカオニブ?の土を掘って探した。遊び心があって楽しい。

 

…といった感じだった。
そのあとは神戸の街をぶらぶらした。笹山にアトリエがあるらしいガラス工房のピアスの可愛さに心を奪われ、これの指輪はないのかと質問してみると作っていないらしい。
なのでオーダーメイドが可能なら頼もうかな、とコンタクトをとることにした。
20歳の誕生日までにほしいわけではないが、どことなく気持ちは焦っていて、ドリスヴァンノッテンで見繕うかと考えていたが延期にする。

 

そして15時半ごろに解散の運びとなる。ランチでの新たな発見の多さに満たされてしまったので余韻がすごいが、ジョンウィック3を観に春日野道まで電車を飛ばす。
時間には普通に間に合った。

 

感想
笑いが止まらなかった。めちゃくちゃよかった。ファンタジーでいいんだよといった感じだ。
もしかしたら火曜日にもう一度見るかもしれない。と思うほどには面白かった。

 

充実しすぎている。怖いほどに。こんなんでいいのか?と思った。
明日から頑張ろうと思うくらいには活力が戻ってきた。帰りに近所のスーパーでフリクションのインクを買った。レジがナオだったので少し話して帰った。

 

夕餉は胡麻担々麺だった。幸せの味がした。

 

やっぱり、人と過ごす時間はいい。さみしくないし楽しい。
話を聞いてくれるのは受け入れてもらえているような気持ちにさせてくれる。
でも一人の時間もいい。だから私はわがままなんて言えないなと思った。

 

とにかく今日はよかった。間違いなく幸せだった。

 

お酒飲んでいたら漠然と味の感じ方が変わるんだろうなとも思た。
食材を味わうというよりかは肴として楽しむ形になってしまうよね。

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てなかんじで、明日は学校だけど頑張ろうと思う。
おやすみなさい。はよ鍵を見つけろ。

日記 2019年10月12日 土曜日

2019年10月12日 土曜日

 

台風が来るとのことで、朝は遅めに(8時半くらい)に起きた 。
大学の同期と中華の食べ放題に行こうと約束していたが、営業そのものが危ういので中止にした。

 

寝転がったままネットフリックスでジョンウィックの1と2を観た。
派手なシーンが多くなくて良い。キアヌの絶対頭を撃ってトドメを刺すところとか、セリフが少ないところとか、上品でいいなあと思った。
3は公開中なので明日観に行こうと思う。あそこ(映画館)は身分証のチェックを絶対にしてくるので学生証を忘れないようにしよう。

 

台風のせいで外出できないためか、冷蔵庫はギチギチだった。適当に肉を焼いて食べたりなどした。
家を出ないときほど何か食べてしまうのはやることがないからだと思う。
テスト前とか、焦っている気持ちとは裏腹にめっちゃグータラしてしまう。あるある。

 

大学の図書館で借りた原発のガイドブックを読んだ。賛成か反対か考える前に読むという親切な本だ。
チェルノブイリ(ドラマ‐2019)を観て、だいぶ当事者意識が芽生えていると思う。でももう東日本大震災から8年経っている。遅すぎる。
思ったことは、義務教育でさらっと学んだけれど、やっぱり原発事故が起こる前だったからさほど重要だと思ってなかったし、このあたりの知識はアップデートしなければならないのだ。

 

ツイッターで「綺麗事言ってられないじゃん」と呟いた(私は維持・拡大の推奨派)。
そしたら坂本先生は「綺麗事の実現を目指したい」(縮小・廃止の反対派)と断言していた。
正直言ってスゲェと言葉が漏れた。だって。
実現できていたらにすでにできているだろう。だから難しいじゃん。それに私は無知だから…。とにかく自分が恥ずかしくなった。
わたしの心のバイブル「石、転がっといたらええやん。」の著者である岸田繁原発反対派だった。
とるべき姿勢と思考をもっと考えないといけない。у~

 

そこからは妹と踊ったり絵を描いたりした。
特に何もない土曜日だった。
ついでにちょっと日記にルールを設けようと思う。

 

今日こういうことがあったというだけなら写真を見てだいたい思い出せる。だから「どう思ったのか」ということを中心に記していこう。
なおかつ、ネガティブなことはあまり書かないでおこう。
書く、読み返すで少なくとも2回は思い出さなくてはならないからな。

 

あ、でもこれは書く
今日は母に綿棒を耳に強い力でズボッと入れられ、泣いた。自室に戻ってみると割と多量な血が出た。「大丈夫かと聞く前にごめんじゃないのか」とキレたが、自分の器の小ささとかにも腹が立ってどうしようもなかった。

 

日記だとしても後味が悪いので明日の楽しみでも書こう。
明日は早めの成人祝いということで叔母とイイトコにランチに行く。
何の話をしようか、どんな服を着ようか迷う。
そのあとは先ほどにも書いたけど映画を観ようと思う。時間がギリギリだから万一見れなかったら火曜日に観よう。私の誕生日。

 

よし、寝よう。ニキビ出来たら大変だ。

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低気圧の中よく頑張ったな。お疲れ様でした。

日記 2019年10月11日 金曜日

2019年10月11日 金曜日

 

変な夢を見て目が覚めた。そいつは私の多くのトラウマやコンプレックスの元凶であった。夢の中でもたいへん傲慢だったが、私はそいつの意に介さず夢の中での労働ができた。
夢の中でも強くなっている。大丈夫。

 

今朝はスピッツを聴きながら学校へ行った。「名前をつけてやる」が大好きなので朝からテンションが上がる。空虚さはなかった。

 

ゼミにて、シンペーさんよりたくさんの心理学を学ぶ。
物を書き起こすと意思が明確になるという話など。

私が昨日の日記に書いたことを話すと、先生がたくさん話を広げてくれた。
先生の好きなところは知識が広いこと、好奇心の旺盛さ、勉強することの喜びを体現してくれるところ、そして対女性の姿勢がダントツに良い。
宗教から社会を見たらとても合理的で、楽して生きていけるよねという話に変わり、芸術と倫理の関係性の話もできた。広島トリエンナーレヴェネツィアビエンナーレ。国の話。
最近先生に認められてきている気がする。素直にうれしい。
インゴルドの「ラインズ」を勧められる。一気に勉強の意欲が湧く。

 

昼餉はトンカツだった。私はトンカツには口うるさい。
肉と衣が剥がれるの、すごくヤダです。

 

そしてパリの土産を渡す口実で山口先生に会いに行く。
先生に泣きついても良かったのかもしれないけれど、学べるチャンスをふいにはしない。
空虚さやニヒリズムを捨てて研究室に向かった。

 

話したこと(学んだこと)

 

フェミニズム編】
・私は以前「話をまとめる力」が欲しいといったが、論理的に話す、起承転結でまとめあげて話すことは「男性論理」的であることだ。
フェミニズムは感性的で、これまで学問ではないやら価値がないやら理論がないと言われてきた。わたしの『散文的』思考は大切にしていいものである。
・女性はふたつの言語を操っている。「母語」「父語」。後者が男性の使うアカデミックな文章だったりする。
言語化の欲求はマッチョイズムである。言語化することで簡易化(または矮小化)することもある。
・男の「俺がわかるように説明しろ」の態度には反感を持ってもいい。
・心理学と社会学本質主義構築主義であり、構築主義を肯定するのは、個人へ還元することは個人を責めることにつながるため、社会の責任がないから。人間を通して社会の構築を見たいと私は思った。構築の中には本質はない。
・男の主語は「俺」ではなく「世間、(男)社会」だが本質は「俺」。女の主語は「わたし」。フェミニズムは女の代表としての発言は許さない。だからここにずれが生まれる。
フェミニズムは思考と実践。アカデミアは思想。
フェミニズムはやっぱりある程度知識がないと「対話」ができないけれど、女同士なら知識がなくても分かり合えるんだよなと言ったら「シスターフッド」という名前がすでに付いていた。

 

【私の在り様編】
・私のコミュニケーションは「ぶつかり稽古」式(毎回全力)なので、正しい方向に進めているのか不安に思うのでいつも人に確認したがる。自分の感性は認めていい。
・男について。少なくとも今まで私に関わった男に共通してきたものは「救ってやりたい」という気持ち。私が全身全霊でぶつかってくることに対して加護したいと思う。そしてオナニズム。陶酔。結局目線は同じではない。
・感性的な言葉を発明すること。態度として、簡単にフェミニズムを理解できると思うなよという意を示す沢山の行動があるということ。先生はあえて黙ってやるという行動があるといった。カッコイイ。
・あ、うれしいことに、私はちゃんと順を追ってフェミニズム的思考ができるようになったみたい。

 

【倫理と芸術編】
・エロ、グロ、ナンセンスをカッコイイという時代は終わっていること。手段として使うのは構わないが、云々(ここはもうちょっと追及してまた書きたいと思っている。)
・ポリコレ棒で芸術を叩くなという話
・倫理と芸術の連関については、線引きが自分の道徳で決まる。ただ、違法ドラッグをやることと強姦は「他者」の存在が大きくちがう。判断基準の一つになる。

 

以上

 

17:00~21:30まで話した。
印象に残ったことは、今の社会と政治はおかしい。
フェミニズムは1970年から今までずっと男女は平等であるべきだと主張しているが、2019年になってもまだ成立していない。
さらに、私と同世代の友達の収入がおかしい。それは間違いなく貧困で、しかし本人たちに当事者意識はなく、選挙に行こうとは思わず「頑張って」昇格したり副業をして何とか食い繋いでいる。政治がおかしいということを知らないのだ。

 

知らないことを知らない。無知というのは本当に恐ろしいと思う。

 

そいえば、昨日の坂本先生のことだけど、私は信仰に近い好意の裏側に反逆心を潜ませていることを知った。
所詮先生も男なんだと思えば楽だったと言ってしまったけれど、それは私のところまで先生を引きずり下ろしたいのであって先生自身がいいわけではない。そして虚しさ。
なおかつ、男性の同情をあおり復讐をするために女の傷つき(私の場合男性恐怖症のこと)を利用するなと叱られた。もっともすぎる。

 

(坂本先生が読んでいたらどうしようと思いつつ書くけれど)先生とセックスしたいとおもっていたと零した。
セックスによる復讐はよく聞く話だ。なんでかって、フェミニズムによる対話が難しい場合、男性論理によって潰される。そうなるか手を出されるのかどっちからしい。
そして後者の実例が存在している。しかし復讐のための手段でセックスするのは本当に得策だろうか。わたしにもありがちな思考だけど、男性一人に対してこの世の男の憎しみを凝縮させたような姿勢をとってしまうことがある。
目の前にいる男は私にとってセックスをしてまで復讐するほどの価値のある人間なのか?という問題に直面する。

違うんだよね。

 

ここに詳しくは書かないけど(それこそさきほど述べた通り言語化は簡易化であるから。)坂本先生と私の関係性の歪さ、生徒と先生という立場のちがいから起きる視線のずれであるとか、そういうことに対して私だから気付けたけれど、本当は正しくない。
ただ、正しいとは発言できないと思う。先生のことが怖いし、好きだし、本音を言ったら寂しかったという漠然とした主観的感情が取り残されているから。

 

とにかく内容が濃かった。
先生としかこういう深い話ができないので、先生に頼らず自分で話し相手を見つけなくてはならない。

 

あ~、岡村先生と山口先生、坂本先生を大切にするのは私の心の内だけでいい。絶対にあなたを離しはしないと口に出さないでいよう。
心が満ち足りている…水を得た魚みたい。サバちゃんだもーん。

 

後やっぱり大学院に進みたい。

 

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今日はよく頑張った。

日記 2019年10月10日 木曜日

ツイッターにリンクを貼ったらブログの内容がそのまま載っているのが恥ずかしすぎたのだけど、編集の仕方がわからんすぎるのでこうやって適当に書いてごまかしている。
そろそろいいだろうか。ていうかなんやねんこれ。
 
2019年10月10日の日記

 

 
なぜか朝6時に目覚ましが鳴ったので無理やりに起きた。

坂本先生から借りた本を読んでおきたいと思ったのか、メイクに時間をかけるためかは覚えてなかった。足先の感覚がなくなるくらいには空気が冷えていて、秋が来たな~と実感する。猫を抱きしめると安心した。その代わり服は毛まみれになる。

 

 

電車に乗り、大学へ向かう。ナーバスな状態になればなるほど時間は早く過ぎるもので、やっぱり坂本先生に会うのは精神的負担が大きいんだと思った。しかしなぜあんなに惹かれるのだろう。坂本先生のことが好きなのに、彼のことを何にも知らない。
そもそも先生のことを本当に好きだといえる自信がない。
そして答えが出ているから会いたくないのだ。そこから生まれるものは悲しみとお別れだし。

 

坂本先生は優しい。何でも教えてくれるし、すぐにダメだとか無理だとか言わない。
あと品があって教養があると思う…かっこいい
先生の喋り方は例えるなら濁りのない小川みたいだ。澱みがなくて、せせらぎみたいな。百人一首にそういうのあったな。晴れた春の日の…。
先生の共通の知り合いが一人もいないので孤独に見える。見えているだけだけど、私のように人から意見を聞いたりしないと自分の決断が下せないような弱い人には見えない。先生の過ごしている時間は1分も無駄がないみたいだ。どうしてそんな印象を受けるんだろう。

 

教室をのぞくと先生がいた。一気に筋肉がこわばる。こわかった。何もしゃべってないのにもう泣きそうだった。負けるなよ。

 

そして先生と少しの間話した。30分くらいかもしれないし1時間たっていたのかもしれない。掴みは少しだけあった。でも8割伝わっているか…といったところだった。
結構泣いた。申し訳なかった。でも先生が迷惑そうにしなかったのが救いだった。トラウマにならなくてよかった~。

 

話の中身
・男性恐怖症のカミングアウト
・講義で先生が怒鳴ったり机を蹴ったりしていることで先生を怖いと無意識で思っていたこと、その裏返しで信仰に近い好意を抱いたこと(虐待やDVに見られがちな原因が自分にあると思い込んでしまうやつ、心理学部なのに名前忘れちゃったよ。)
・先生の何気ない一言で「先生」じゃなくて「男の人」になってしまったこと

とか。

 

これで会うのが最後なのかなと思ったので質問をしようと思ったけれど何にも出てこず。

 

そこからわかったこと
私が求めていることは、物事を正しい視点からみること。でも意見が持てない。なぜなら内在化している問題を言語化できていない→だから違和感とか言っちゃう。
つまり無知なのだな!

 

Twitterより

 

平和的に解決ってほとんど無理な話で、やっぱり対立しているところからお互いの妥協点を見つけていかなくちゃいけない
私は何か「わかりあえない」が基盤にあるので(だからこそ分かり合おうとする意欲につながるのだが)、「それは悲しいなあ」「優しくないなあ」「仕方ないなあ」で終わっているから、私自身が平和主義なのかと思っていた。でもそれは責任放棄で、優しくない。あと確実にめんどくさがってるよね。

 

悲しいなあと思うだけなのは、私が「かわいそう」みたいな形式に近くて、ずるくて。
だからポリシーに「勝つ」というのがあって。でも勝つって正しさの証明ではないよね。
正しくありたいと思うんだけど正解はどこにもない。

 

私が和解を諦めきれないのは(先生のことも諦めきれていないし)、理解したい、だから理解してよねっていう執着があって、執着の根源は孤独だ。そこさえ満たされればいいから信仰が一番適切な形なんだろう。先生のことを妄信的に好きだったのはそういうことなんだと思う。

 

孤独とは寂しさで、信仰は寂しさまでカバーできるんだろうか。多分無理だ。だって生きている人を信仰の対象にしたらリターンを求めるようなる。
なおかつ、信仰は妄想を生む。だから期待が誇大化する。さらに妄想にかけた時間とその人の価値は比例している。多分時間をかけすぎると引き返せないところまで行ってしまう。だから信仰対象は故人の方がいいのは納得がいく。

 

 

だから先生を勝手に信仰するのは適切ではない。先生は求めた分しか与えない。
先生として至極当然だけどそこに寂しさはある。アッサリしているから。
山口先生みたいにご飯に行ったりできないし、雑談もできない。

 

先生と二人で勉強することをあきらめたくないといった。
優しめの言葉で欲張るなと返された。最初は意味が分からなかったけれど山田さんに相談してみたら、先生が怖いっていうのと、先生に教えてほしいということを両立させず怖い思いをしない方策をとるのが良い→「欲張らんとき」なんじゃない?といわれて合点がいった。

 

そこからはまあぶっちゃけ向き合ってほしかったよねという話になったけれど、
まだ未熟な私(だってまだ19歳なんだも~ん)にいろいろ手を焼いてもらうより、立派に育った私を、それこそ言葉の通りかわいがってもらえるようになれば良いんじゃねってなった。男性恐怖症が治って、社会学もたくさん蓄えることができてから。別に約束もしてないし保証もないが。

 

コンプレックスは自分にとって絶対的な規律になることを最近知った。
だから、私は「正しく」なければならないと思っていたが、正しさ≠やさしさだ。
優しさは時に厳しく、時に悲しく時にウソにもなる。そして受け入れることは一概に優しさとは言えない。受け入れることは相手を背負うことになる。

自己犠牲は優しさではないからな~。だから私は強くなるべきだと思た。

 

強くあるべきだろ、そのために知識を得なければ何も始まらないんだな。
だから勉強するのか。うーん。筋が通っているかはわかんないけど、勉強するのは悪いことじゃない それに大学生だからたくさん勉強したらいいと思う。

 

いま19:09、ほとんどの店が20時で閉まるのでお散歩してから帰ろうと思う。
抱えている企画とか自己の在り様の模索、パリの絵を描くこととか、やることがたくさんある。がんばってね。