コロナウイルスと自己認識(論)

2020年3月20日 金曜日

 

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21世紀美術館の塩田千春の作品です



 

18~19日の間、金沢旅行に行った。コロナの影響で閑散としているものの、割と観光客であふれていた。

観光客というのは自粛していない若者たちである
私たちとおんなじ大学生ばかりで、全員咎められるべき存在なんだろなと思った。しかし、いったい誰が咎めるのだろう。

 

そもそも、どこからがセーフでどこからがアウトなんだろう?「旅行に行く」と「(生活必需品の)買い物に行く」の差はいったい何なのか。不可抗力なら許されたのか?
おそらくその基準となるのは「コロナウイルスに罹患するリスク」であり、移動距離や外部との接触が関係している(ように思う)。
私が旅行に行ってなんともなくても、周りの誰かが私の持ち帰った菌に罹患しているのかもしれない。

 

…とはいえ、コロナウイルスは目に見えず、感染者が多数出ているとはいえパンデミックの認識が難しい。政府は「要請」しかしていないので私たち一人ひとりの取り組みが感染拡大を食い止める鍵となっているわけだ。
多分、私自身の事を咎めている人はいない。私がいろんな記事や言論を見たり、注意喚起を聞くたびに「咎められているぞ」と認識しているわけ

 

ほんと年が明ける前から専門知について色々考えていたけれど、坂本先生のツイートをみて、「なんだ」となった。

割とアッサリ、簡単に解決した。そして昔、ある高校生が韓国ヘイトをまき散らしていた時、見ていられず、同じことを言ったのを思い出した。何を言ったかはわざわざ書いたりしないけれど、今起きている事、これから起こる事はたった一人が次判断して生まれるわけではないといった旨だ。ここでひとつ、先人の知恵をお借りして一つの単語(画像参照)に集約できた。

 

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そうだ、最近研究のための情報収集をしていない。やっぱり冬の寒さはわたしの中の時間を止めるし、春はその反動で浮かれたマインドになる。

 

一つだけ言いたいことがあるとすれば、私が今なにも成し遂げていない(形にしていない)のは、ちゃんと意味があって、外野に怠けてるとか言われる筋合いがないんだということかな

 

自己の在り様の模索というのは、私の感性や取り乱しのなかから違和感を感じ、原因を探求し、言語化につなげてフィードバックするものであって、なんらかの創作物に対して「イッツミー」とか言っちゃう、みたいなことではないんだよなと思う。
逆に言えば創作物に意味を込めなくてもいい。

「美とは何か」と「美しいと感じる心(言語を介さず、理論として成り立たない)」は完全に別ベクトルで、さらに言えば相対もしていない。

 

わたしは誰かに何かしらの影響を与えるために(わかりやすく)形にしているわけじゃない。このあたりの話は、おそらく自己認識論に集結すると思う。やっぱり自己認識論を勉強するべきか?
ここでいつも思い出すのはバタイユの「屈服」という言葉だ。今日の塩さんの「フェミニズムとかじゃなくてさー、そもそも人間としてどうなん」という発言にも近しいものがある。

躊躇したい理由を述べるとすると、自己認識論がわたしの自己認識を手伝ってくれるのであれば問題ないのだけど、ある一つの学問として成り立ってしまう少しの恐ろしさは否めない。

 

ここからは私が3月9日に残したメモの内容である

 

人間はいつ如何なる時も思考をやめてはならない、と思う。
以前ツシマさんと、「怒りをもって行動しなければならない時」という話をしたのが印象に残っている。怒りとは一体どのようにして発生するのだろうか。

さいきんのインターネットにおけるフェミニズム・ムーブメント(と名付けさせてもらう。恐らく私だけの意味を持ち、従来のフェミニズム・ムーブメントとは異なる定義のはず)には特有の傾向があるように感じる。
多分それは、そのムーブメントに携わる人たち(フェミニスト/アンチフェミニスト)だけではなく、政治情勢や学問、芸術にも共通する。

さらに言えばインターネット上でその属性が顕著に現れているだけであって現実も例外ではない。あくまでインターネットは目に見える言語化によって様々なイデオロギーが可視化されているだけなのだから。

 

近年、口酸っぱく謳われている多様性という言葉について考える。無秩序な多様性は存在しない。規律を規定するなら、「互いの人権を侵害しない」は不可欠だと思う。今から使う多様性という言葉は「互いの人権を侵害しない」という主軸に基づいて展開する。

 

閑話休題

 

上記の「特有の傾向」とは一体なんなのかというと、状況の把握・認識、自己認識ができない人ほど怒りを露わにしやすいというものだ。
一つの事象に対する姿勢や意見は多種多様であり、その違いは視点からくるものだと考える。何が正解なのか、ではなくて、どこからどう見ているのか。
恐らく人の視点や正義、倫理観は固定されている。それらはエスニシティーや性別、成長過程の中の環境(ジェンセンとかワトソンでググってください)が影響を及ぼすと思っている。
自分がどの旗の元にいるのか、どういったイデオロギーを持っているのかなどの自己認識を怠ってはいけない。でないと一貫性のない意見になってしまう。

 

じゃ、どうなるのか、どういう認識になりがちなのかという話だけど、まず多様性を結果的に否定している。
この間ハンナ・アーレントの勉強会に参加した時に「自分が悪だと思って行動する人はまず少数派だよね」という意見が出た。
つまり、人はある程度自分の中に正当性や正義を持って行動しているという事だ。その正当性や正義が皆同じものだと認識したり、皆同じベクトルに向かって進んでいる(つまり優劣がある)などと、かなり主観的な思想を持ち、最終的に他者との間にズレが生じるという部分が問題だ。
ある程度の教養(この言葉を使うのが苦手だ)がなければ、自己認識を改める事は難しいのではないかと思う。

 

今これを読み直して、これを書いていた時の私はひどく憤っていて、なかなか恐れげもなく言うではないか~。と思った。
いま思っている事はこのメモの内容とは少し違くて、「わからない」の対処の仕方にその人となりがかなり出てくるのではないかというものなんだけど、それなりに可視化できている気がしている。

フェミニズム・ムーブメントはどうしても「男/女」で区分され関係性の把握に気を取られてしまうけれど、コロナウイルスの場合「我々/未知のウイルス」となるのでわかりやすい。「感染者/非感染者」だとフェミニズム・ムーブメントと同じになる。

 

「未知」には正解がなくていい。そもそも事象には正解なんてないんだけど、特に「物体」として未知を認識できるといろいろ簡単に事が運ぶ。
どこまで何を知っているのか、その情報は正しいのか、認識・把握の後の行動はどのように行うのか…というのに前例がない(あるとは思うんだけど専門知の仕事だったよね)。みんな「自分が」ちゃんとしないといけないから、なんだか一つのレースみたいになっている。
さらに言えばコロナウイルスは命を脅かすので必ず正解が求められる。私がいま重要だと考えている自己認識は所謂不要不急の産物とは違い、必要不可欠だ(冒涜だ!)。

 

どうか、頑張ってください。なんとか持ちこたえてほしい。テクノロジーの進歩で対人コミュニケーションの持つ役割は歪みつつあったけれど、コロナウイルスの影響で世界が少しずつアナログへ向かっている。ので、そこでなにか、コロナウイルス関連以外で得られるものがあったらいいなと思うわけですよ。

 

長くなったな~それでは寝ます。おやすみなしあ

ファミリーレストラン愛

2020年 2月19日 水曜日

 

今朝、労働先でユウキさんから「日記読んだよ」と言われてまあまあの混乱 謎に内容を覚えてなかったからである。

 

ということで今デニーズで自分の日記をサラッと読み返し、うお〜アレを読んだんか、、となった 態度を変えなかったユウキさんに感謝したい所存である。
という内容の日記ではなく、今日はなんとなくファミレスについて書いて行こうと思う ずっと書きたかったけど時間なかったのだ。こうして今時間を作っている。あ〜!

 

数ヶ月前まで私はファミレスはおろかチェーン店そのものが大嫌いだった。
ランチに1000〜3000円かけて当たり前(友人とアクティビティする事がないのでお金があるのだ。決して金持ちではない)だし店に入ってからお金を払って出るまでの間に、個人経営店だとなんだか人の温もりを端々から感じる事ができるのが嬉しかったりした。「ご馳走様でした」が何処へも飛んでいかない。

 

以前、三浦とこんな話をした事がある。
「私サイゼ美味しいと思った事ないねん、でも面白くない(所謂Z級の)映画もそうやけど、誰かと一緒に「これはマズイぜ」というのが楽しいやん」
その時まで私はサイゼリヤがこんなに安いと知らなかったし、数年ぶりに訪れたくらいだった。

結論から言うとめちゃくちゃ楽しくて美味しかったのだ。その日から私はサイゼリヤにのみよく足を運ぶようになった。
三浦と喋って笑いまくった2時間半を追体験しようとしているのだ。

 

そして三浦のおかげでファミレスは「人と来る場所」という位置付けがなされた。とはいえ、大体私はファミレスには1人で行く。今日だってそうだ。

 

とちおとめのザ・サンデーを頼んだ。
数日前門田と朝ごはんとして食べたのがすごく美味しくて、楽しくて、また追体験しようとしている。私の行動の根幹は寂しさなのかなあ。

ちょっと話逸れるけど、パフェが好きだ。

自分で作るパフェが一番好き。お気に入りのフレーバーはイチゴとかマスカット。イチヂクもいいな。
でもバニラアイス嫌い!マスカルポーネは好き。チョコレート入ってたらげんなりする。擬似フルーツによってカサ増しされてたらちょっと腹立つ。でも最高のパフェ食べた時の満たされた感じは堪んないのだ。ウオー。わりとデニーズのパフェはイイところをついているのだ。結構無我夢中で食べる。あ〜美味しかった。って。ふふふ…

 

閑話休題

そもそもファミレス…ファミリーレストラン、「レストラン」という名称がグッとくる。私は昭和の血が流れているので「レストラン」名称は特別感がお高い感じを彷彿させるが、実際そうでもないのがイイ。ただ「ファミリー」と着くと一気に庶民派になるのも面白いなあと思う。

 

あとファミリーレストランの好きな部分は安いところだ。安いところが何を生むかというと、無駄である。例えば1万円のランチに行ったとして、「メインは鴨肉のローストか白身魚ポワレです、お選びください」と言われると絶対に好きな方を選ぶのだけど、ファミレスはその点、安すぎるので「あったら食べるけど絶対自分では頼まないもの」を頼むハードルが下がるのだ。こないだもガストでビーフシチュー食べた。
普段やったら絶対食べへんのに。てかガストもすごかった。ガストの話ししてイイ?また後で。

 

もう一個好きな部分は「寛容さ」である。
基本的にどの客層でも大丈夫なのがいい。今まで行ってたところ(個人経営店)はオシャレだったり値段が高かったり敷居が高かったりで、それなりの身なりで訪問しなければならなかった。さらに言えば食べる事がメインだったりするのでサブ(時間を潰す、本を読む、絵を描くなど)用途が難しい。ファミレスは息抜きしやすいのが良い。

 

図書館とか、病院とか、美術館とか、劇場とか、公民館とか、市役所とか、大学とか、そういうところに「併設」されてるサ店でコーヒー飲んだり冷凍の業者のケーキ食べたり醤油かけるピラフ食べたりするの好き お金の勿体無さとサブ施設をメインとして楽しむのホントに無駄な感じでイイ
(私のツイート)

 

↑ファミレスはこれに近いところがある。
総括して「無駄」が良いということになる。今までずっと無駄を嫌ってきたが余裕が出てきたので無駄を楽しめるようになった。凄い楽だ。ファミレスは雨の日でも晴れの日でもファミレスとして存在してるから良いな〜と思う。
普通に考えてみればこれも「一派」なのがさらに面白い。

日常を「特別」で埋め尽くさないと気が済まなかった私が一周回ってスタンダードなファミレスに特別感を見出しているのが面白いな〜。むしろサブをメインに置き換えるのが楽しいな。私、隅っこにいますね。って感じで。
地方のファミレスに行ってみたいな。ファミレスって楽しいね〜。多分さ、「〇〇しつつ」の〇〇が楽しいんだろなとも思う。
こうやって日記書きながらミートソースのパスタ食べてる。ミートソースのパスタとか絶対食べへんのにな。面白〜。

 

お腹いっぱいになったら急に眠たくなってきた。
わざわざ好きな商店街の近くまで来たから野菜買って帰ろうと思う。菜の花湯がいて食べたいのだ。

 

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次はスーパーマーケットの話でも描きマソかね。それではさようなら。

 

追記

菜の花が100円で買えた!調子乗って2つ買った!!いんげんといっしょに湯がいて冷蔵庫に入れておいた。明日が楽しみだ。ディップを作ってもいいし塩と胡椒でいただいてもいいな。ムフフ

バタイユのエロティシズムを読んで

2020年1月31日 金曜日

 

おととい、バタイユのエロティシズムを完読した。実をいうと全能感を感じている。

 

ずっと抱えてきた疑問を、バタイユは皮を剥ぐように解体し、骨を見せて語ってくれた(ように思う)。

個人の意見に正当性を持たせるためには、既存の規律に甘えない自律の姿勢が求められる。今まで、私の思想は屈服し続けていた。疑問を持ちながら…。
このイデオロギーは今後私を護る盾になるだろう。しかし、皮肉にも私の疑問を言語化するという目的において、隷従性が伴っていることを忘れてはならない。わたしの壁にもなり得る強大な思想なのだ。うまく浸透させ、飼い馴らさなくてはならない。

 

ざっと言えば、エロティシズムは厳密性の極限まで至る思想だそうです。

 

『わたしの中に絶対的な存在があるとして、それに影響されまくっているのはいささかダサい(オリジナリティがない)ので、意識して別の武器を取らなくてはならない。
じゃなんなら対抗できるか?って、坂本先生が話術なら、やはりわたしは言語化以外で自己表現を図らなくてはならないのだと……』
(1月29日 わたしのメモより)

 

さて、今日31日のお昼前に、大勢の人が善意をもって一人の人に接していたところを目撃した。私は出遅れたが、そのうちの一人になろうとしていた。
なんだか気持ちが綻ぶというか、ちょっとうれしい、誇らしいという気持ちになった。

新型コロナウイルスが大きな世界の流れとなっているけれど、報道を見て対策云々政府は何をやっとるんじゃと思っていた。ついでに、デマに踊らされたり、ここぞと言わんばかりのヘイトスピーチの数々…。
正直アホ共が晒されてゆくのをじっと見つめていた感覚が続いていたため、びっくりしたのだ。

 

あ~皆アホでもええかもしらん。だって思いやりとか善意ってアホ関係ないもんなあ。

 

そこでふと気付いた。
もしかして、もしかしなくても、私は自分の中の正義を持って人を導くのではなく、強い力で人を信じたいのではないか?と思った
自分の意見を持つには敵とか悪とか、相対する存在の片方しか選び取ることができないのではないか?

わたしは人を信じたいと思う 一方で自分自身を見失わないために、言語化を伴わない自己表現を身につけなければいけないんだ。

 

ッカ~!いや、間違いない。この気持ちに嘘はない。

 

というのも、最近私はずっと戦うことに疲れていたからだ。
この国では20歳になると成人…てことは社会的責任を負わなくてはならない。
わたしはセックスワーカー近辺の研究がしたくて、同時にこの国を変えたい、そしてリベラルフェミニストだ。←これらの構成要素すべて、責任をもって発信しなければならない。

ただ、セックスセックス言いまくったり、「それは差別ですよ」と指摘したりなど、実践を重ねていくうちに気付いたことがある。
今までは人にどう思われていても関係ない、と思っていたが、間違った人物像が浸透していたらどうする?と。

 

例えば、私はセックスの話を1日に3回以上する。私はいたって大真面目に話しているけれど、同時に人からはエンタメとして消費され、「私は言いにくいことをわざと言いまくる女」と他所との差別化を図っているサブカル女子(もちろん蔑称である)と認識されてしまう。最悪の場合、「小西はセックスをするのが好き」が暗黙の了解になってしまって、身の危険が及ぶかもしれない。
私は別に軽い女でいい…てか軽い女だ。でも自己と他者の認識にズレがあると、孤独を呼んでしまう。

 

そういえば女についてだけど、私は今まで女を道具にして戦ってきた。女特有の弱さで同情を誘ったりもした。
自分自身のことは女の皮をかぶった何かなんじゃないかと思うほど「女」でいることの執着がなかった。だからこそ、女らしくいることが幸せだという風潮が浸透している人たちに「かわいそう」といろんな支援を受けてきたのだ。「そうです、つらいんです~」と泣き落として終わり。

ただ、女だからという理由で人権が侵害されているとフェミニズムを学ぶうちに自覚し始め、今までの私は差別を逆説的に武器にして「お情け」を受けてきたのだと思うと屈辱でしかなかった。
女であることの誇りよりも、男じゃなくてよかったという安堵があった。
ただここ2年ほど男に対しての憎悪をフェミニズムという旗のもと、私の人権を侵害しているという「怒り」の正当性をもって発散してきた部分があった(実際に処遇の改善や謝罪があるかどうかは別として)。

それもなんだか疲れてしまったのだ。私は自分の顔は醜くてメイクをしても直視できないことがあるけれど、ふとショーウィンドーに映った自分を流し見すると、しっかり「女の子」なのだ。髪の毛は肩まであるし、唇の色はちゃっかりアプリコットオレンジだったりするのだ。

 

ブスでもしっかり女の子なんだよな。

男に「かわいいじゃん」「うっせーよブス」という評価を与えられるためにおめかししてるんじゃない。
多分、一生懸命私の魅力を引き出すためにメイクしてるんだけど、男が容姿の否定から入るのは、その「一生懸命」の否定が言葉を持たない女性の対抗心を根元から折るのを知っているからじゃないのか。と思ったのだ。
もちろん容姿の肯定も、男のためにあつらえてきたみたいな水面下での差別意識が働いている。

 

それら全部にほとほと嫌気がさして、しばらく私は確かな力を得るまでは迂闊に喋らないほうがいいなと思った。

 

同時に、類型化されてく人々の性質について、疑問を持ちながらもずっと「下」、いわゆる弱き人たちにどのようなアプローチをするのが正しいのか…と考えてきたけれど、私もある人からすれば弱者だ。
さらに、弱者と認識されて優しくされる_弱者でなければ優しくできないのか?という問いにずっとずっと苦しめられていた。

 

バタイユのエロティシズムはその苦しみの根幹さえも淡々と紐解いていった。
わたしはバタイユを信じたいなあと思ったのだ。
多分、根拠をもって「異常」と判断する人が多い中、その常識や規律に疑問を持つほうがずっと強く、優しくて繊細で責任を伴わない。と思う。

 

とりあえず、冬は大嫌いだけどある意味19歳までの子どもの私の集大成としてこの思想を持つのは素晴らしいことだと思う。しかもよ。成人するまでにパリに行きたいと思って、それを実行した先でエロティシズムに出会えて、、やっと大人としての自覚、責任、姿勢が見つかったのだからね。

 

てか人を信じるのは夢見がちなことではないからな!と、思ったきっかけは中国にある。
今年3月に中国に行くつもりだったけど叶わなかったので、早くあの国へ赴いていろんなことを知りたい。武漢加油

 

テストが終わってから温泉に行った。めちゃくちゃ寒いね。私の知らない間に雪が降っていたそうです。久しぶりに体重に乗ったら太っていました。でも筋肉がついてきているから気にしないことにします。2月はたくさん働くし、頑張ろう。

 

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追記
強い力ってずっと言い続けてるけど、それって愛なのかあ 愛ってなんか恥ずかしくない?ラヴ
Twitterより)

 

おしまい

 

冬季期間の日記のお休みのお知らせ(今更)

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昨日のオヤツ


冬季期間の日記のお休みのお知らせ(今更)

2020年1月22日

 

実は継続的にこの日記を続けていくにあたってとても大きな障害があることが分かった。

冬だ。

 

更新している記事一覧を見ればわかるかもしれないけれど、12月に入ってから2日や3日分を一気に更新している頻度が増えた。忙しいのもあったが、もっと大きな理由がある。

 

私はいかなるシチュエーションにおいても寝るときはすっぽんぽんだ。

なのでパジャマを持っていない。

日記を書くときは決まって夜だし、寝る直前が多い。

今までの日記はほぼ全て自室ですっぽんぽんになって胡坐をかいてPCに打ち込んでいる。

12月序盤まではまだ耐えられたが、もうきつい。インフルエンザに罹った大きな理由はそれだと思うし…。

なので冬季期間は志向を変えて、気が向いたときにエッセイや詩を書いて更新しようかな。

 

ついでに言うなら、私は冬が一番嫌いな季節だ。

まず寒い。何をやるにも寒さが妨害してくる。おまけにバスの中とか人のにおいが臭いし、酸素は回ってこないししんどい。乾燥のせいで色んなところがカサカサになるし、寒さを理由に何も行動しないでいるとみるみるうちに肥えていく。

夜も大嫌いだ。なのに17時には日が落ちてどこへも行けなくなる。冬の厳しさは孤独と直結していると錯覚しそうになる。

さらに言うとイベントが多い。忙しすぎるのに全然動けないから自分が嫌になる。一人で家にこもって寒さをしのいでいるとイベントを楽しむ人たちのSNSに圧倒されて死にそうになる。

あと風呂入るときにシャワーが最初冷たいのは致命傷だよね!

 

なにより…あとありとあらゆる花が一気に姿を見せなくなるのは本当につらい。

私は桃花という名前だけに花がとても好きで、春は花を見に行くために散歩する毎日を送るほどだ。だから本当に辛い…。

毎日色んな写真を撮るけれど、冬になると2日に1枚とかになる。

 

私は放っておくといろんなことを考え出して止まらなくなるから、景色を見たり、アクティビティに参加して気を紛らわさないとやっていけない。それなのに冬独特の美しさを感じることはできない。チクショー!

 

今年の抱負は言語化以外で自己表現を図る、というものだったんだけど、冬の期間はそれがちょうどいいかなと思う。じっとしてても絵は描けるからね。

 

ともかく2月いっぱい?いや、暖かくなるまでは日記をお休みします。

いつも読んでくれている方々、ありがとう。たまに読みに来てくれる皆さんもありがとう。

 

 

 

では!早く春を迎えたいね~

日記 2020年1月13日 月曜日

日記 2020年1月13日 月曜日

 

どんだけ寝れてなくても朝四時に一度目が覚めてしまうのでよろしくない。
不眠に悩まされるときはいつも外の明かりの眩しさが原因になっている気がする。

 

昼になるまでNetflixを見たりして時間を潰した。
ドロヘドロのアニメを見た。アニメ化するとは思ってなかったから嬉しいな〜

 

眉毛がオン眉になっていた(あの美容師殺す)のでメイクを変えた。
といっても太眉にしてリップの色を暗くしただけだけど似合っている。

 

今日は良く晴れていて気持ちいい。
家族全員で岡本にある四川料理の店へ行った。

 

母が「桃の成人祝いやな」と言ったので「頼んでないのに「お祝い」で消費するのはやめてほしい 損した気分になるしおざなりにされてるみたいでいやだ ありがたく感じなくてはならないの?」と半ギレになって言った。
こういうのは誰も救われないし悲しいからやめてほしい。
文章に起こしただけでだいぶめんどくさい人間だなと思ったし、なんかもう死にたいくらい自己肯定感が下がってくる。なんで?

 

何はともあれ四川料理を久しぶりに食べた。
赤くて辛くて美味しい料理をたくさん食べた。皆汗をたくさんかいた。

 

ららぽーとに行く予定だったけどなぜか西宮ガーデンズになった。
明日見ようと思っていたパラサイトが時間ぴったりにやってたので見た。
大きなスクリーンに人がいっぱいで、こんなにお金が動く映画だったのかと思った。

 

序盤「これから韓国の経済状況を読み解く」みたいな視点になりそうな自分の思考回路にイライラしながら楽しんだ。中盤から終盤にかけて結構心の平穏を保つために(良い意味で)見ていられないシーンが多くてドキドキしながら見た。ほぼ何も知らない状態で観たのでネタバレ等なくて本当に良かったなあと思った

 

て言うかなんか今日記を書いているんだけどめちゃくちゃイライラしている。
何にイライラしているんだろう。生理終わりかけだから?冬季鬱?

 

映画が観終わって、帰るまでにグダッた。ので買うものも何もないがモールの中をウロウロとほっつき歩いて、死にそうになっていた。

うわあああああああああああああと叫びそうになるくらいモヤモヤとイライラが爆発しそうで助けてくれたすけてお願いですと道行く人に懇願しそうだった。

 

人々の営みを見て、私はそこから除外されていると感じる
あんた一体何者?

 

どこまで遠くに行こうとしても近畿圏で限界 お金がない なんでこんな小さなことで満足してしまうんだ 人に見つけられたい 誰かに私の才能を認めて欲しいと思っているが、実際のところマルチに程々にこなせるだけで飛び抜けた才能があるわけでもない
人に必要とされないのにコミュニケーション能力はあるから自分自身をエンタメ化して人を喜ばせて自分を犠牲にしている

 

人に見つけられようが、私のことを見るような人間は正しくないし清くもない 私なんかに関心を寄せる人はバカなので私にとっては邪魔でしかない 私自身に価値はない でもなんでだろう 自分と相手しか見えてないようなラブラブなアベックは私よりも劣って良そうな人だっているのに 羨ましいのか なぜ今になって?

返報性が私には備わっていないのかもしれない。一方的な関係しか要らない。
多分それは周りがつまんない奴ばっかりだからかな。こんなこと書いていいの?

 

こんな気持ちになっている理由は高校時代を思い出してしまったからだと思う。私の人生を狂わせた男が西宮市に住んでいるからだ。
まさかこの歳になって思い出してヤキモキするなんて想定外だなあと思ったし、もし出くわしたら気分が悪くなって死にそうだなとか、なぜか相手の目にどう映っているか不安になって装いを改めなければと思ったり…本当に自分が嫌になる。

 

誰かに私の苦痛をぶつけてしまおうかな アハハうける 全部どっか行ってお願い
どこで間違えた?なんで?

 

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ここにあるのは脂肪と肉の塊と醜い醜い女の執念、それだけだよ

日記 2020年1月12日 日曜日

2020年1月12日 日曜日

 

昨日の夜せめて10時間は寝るぞ~とお布団に入って眠気が来るのを待っていたら母から研究内容に対する苦言が長文で送られてきていて、なんというか孤独感に苛まれ、なかなか寝付けなかった。

インスタを見るとみんな旧友とドレスアップして楽しんでいる様子がアップされていて余計にさみしくなった。

私は私にしかない楽しみがあって、知見があって、は~。経験や知識は私だけのものだけど、ただそれだけでは自己の肯定感にはつながらないんだよね。

 

朝早くから労働へ向かった。そのあとたまに行く古着屋のセールへ急いだ。買ったのはブラウンのコーデュロイジャケット。70年代くらいかなあと思っていたらコムサのだった。アレンジするの楽しみだなあ。早速明日から着ようと思う。

お兄さんが私のことを覚えてくれていたことに驚き。幼稚園の先生並みの記憶力で尊敬する。

 

ずっとずっとハムカツに夢を抱いていたが、今日丸亀製麺で感動の再会を果たした。
分厚くてかたいハムカツ最高だ。むふふ・

 

そんで18時から美容院に行った。半年ぶりでめんどくさすぎて帰りたかった。
毎日一生懸命お手入れしているつもりだったが、髪質はボロボロらしい。。
結局予約のコースよりも高いお金を払ってお任せにしてもらった。長くてうざったい前髪だけどうにかできたらいいやって。
まあまあ似合う仕上がりになっていた。

 

というわけでもうねる。眠いから。
明日はドンナ一日になるのかなあ。

 

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神戸ばっかりだねえ