日記 2019年10月11日 金曜日

2019年10月11日 金曜日

 

変な夢を見て目が覚めた。そいつは私の多くのトラウマやコンプレックスの元凶であった。夢の中でもたいへん傲慢だったが、私はそいつの意に介さず夢の中での労働ができた。
夢の中でも強くなっている。大丈夫。

 

今朝はスピッツを聴きながら学校へ行った。「名前をつけてやる」が大好きなので朝からテンションが上がる。空虚さはなかった。

 

ゼミにて、シンペーさんよりたくさんの心理学を学ぶ。
物を書き起こすと意思が明確になるという話など。

私が昨日の日記に書いたことを話すと、先生がたくさん話を広げてくれた。
先生の好きなところは知識が広いこと、好奇心の旺盛さ、勉強することの喜びを体現してくれるところ、そして対女性の姿勢がダントツに良い。
宗教から社会を見たらとても合理的で、楽して生きていけるよねという話に変わり、芸術と倫理の関係性の話もできた。広島トリエンナーレヴェネツィアビエンナーレ。国の話。
最近先生に認められてきている気がする。素直にうれしい。
インゴルドの「ラインズ」を勧められる。一気に勉強の意欲が湧く。

 

昼餉はトンカツだった。私はトンカツには口うるさい。
肉と衣が剥がれるの、すごくヤダです。

 

そしてパリの土産を渡す口実で山口先生に会いに行く。
先生に泣きついても良かったのかもしれないけれど、学べるチャンスをふいにはしない。
空虚さやニヒリズムを捨てて研究室に向かった。

 

話したこと(学んだこと)

 

フェミニズム編】
・私は以前「話をまとめる力」が欲しいといったが、論理的に話す、起承転結でまとめあげて話すことは「男性論理」的であることだ。
フェミニズムは感性的で、これまで学問ではないやら価値がないやら理論がないと言われてきた。わたしの『散文的』思考は大切にしていいものである。
・女性はふたつの言語を操っている。「母語」「父語」。後者が男性の使うアカデミックな文章だったりする。
言語化の欲求はマッチョイズムである。言語化することで簡易化(または矮小化)することもある。
・男の「俺がわかるように説明しろ」の態度には反感を持ってもいい。
・心理学と社会学本質主義構築主義であり、構築主義を肯定するのは、個人へ還元することは個人を責めることにつながるため、社会の責任がないから。人間を通して社会の構築を見たいと私は思った。構築の中には本質はない。
・男の主語は「俺」ではなく「世間、(男)社会」だが本質は「俺」。女の主語は「わたし」。フェミニズムは女の代表としての発言は許さない。だからここにずれが生まれる。
フェミニズムは思考と実践。アカデミアは思想。
フェミニズムはやっぱりある程度知識がないと「対話」ができないけれど、女同士なら知識がなくても分かり合えるんだよなと言ったら「シスターフッド」という名前がすでに付いていた。

 

【私の在り様編】
・私のコミュニケーションは「ぶつかり稽古」式(毎回全力)なので、正しい方向に進めているのか不安に思うのでいつも人に確認したがる。自分の感性は認めていい。
・男について。少なくとも今まで私に関わった男に共通してきたものは「救ってやりたい」という気持ち。私が全身全霊でぶつかってくることに対して加護したいと思う。そしてオナニズム。陶酔。結局目線は同じではない。
・感性的な言葉を発明すること。態度として、簡単にフェミニズムを理解できると思うなよという意を示す沢山の行動があるということ。先生はあえて黙ってやるという行動があるといった。カッコイイ。
・あ、うれしいことに、私はちゃんと順を追ってフェミニズム的思考ができるようになったみたい。

 

【倫理と芸術編】
・エロ、グロ、ナンセンスをカッコイイという時代は終わっていること。手段として使うのは構わないが、云々(ここはもうちょっと追及してまた書きたいと思っている。)
・ポリコレ棒で芸術を叩くなという話
・倫理と芸術の連関については、線引きが自分の道徳で決まる。ただ、違法ドラッグをやることと強姦は「他者」の存在が大きくちがう。判断基準の一つになる。

 

以上

 

17:00~21:30まで話した。
印象に残ったことは、今の社会と政治はおかしい。
フェミニズムは1970年から今までずっと男女は平等であるべきだと主張しているが、2019年になってもまだ成立していない。
さらに、私と同世代の友達の収入がおかしい。それは間違いなく貧困で、しかし本人たちに当事者意識はなく、選挙に行こうとは思わず「頑張って」昇格したり副業をして何とか食い繋いでいる。政治がおかしいということを知らないのだ。

 

知らないことを知らない。無知というのは本当に恐ろしいと思う。

 

そいえば、昨日の坂本先生のことだけど、私は信仰に近い好意の裏側に反逆心を潜ませていることを知った。
所詮先生も男なんだと思えば楽だったと言ってしまったけれど、それは私のところまで先生を引きずり下ろしたいのであって先生自身がいいわけではない。そして虚しさ。
なおかつ、男性の同情をあおり復讐をするために女の傷つき(私の場合男性恐怖症のこと)を利用するなと叱られた。もっともすぎる。

 

(坂本先生が読んでいたらどうしようと思いつつ書くけれど)先生とセックスしたいとおもっていたと零した。
セックスによる復讐はよく聞く話だ。なんでかって、フェミニズムによる対話が難しい場合、男性論理によって潰される。そうなるか手を出されるのかどっちからしい。
そして後者の実例が存在している。しかし復讐のための手段でセックスするのは本当に得策だろうか。わたしにもありがちな思考だけど、男性一人に対してこの世の男の憎しみを凝縮させたような姿勢をとってしまうことがある。
目の前にいる男は私にとってセックスをしてまで復讐するほどの価値のある人間なのか?という問題に直面する。

違うんだよね。

 

ここに詳しくは書かないけど(それこそさきほど述べた通り言語化は簡易化であるから。)坂本先生と私の関係性の歪さ、生徒と先生という立場のちがいから起きる視線のずれであるとか、そういうことに対して私だから気付けたけれど、本当は正しくない。
ただ、正しいとは発言できないと思う。先生のことが怖いし、好きだし、本音を言ったら寂しかったという漠然とした主観的感情が取り残されているから。

 

とにかく内容が濃かった。
先生としかこういう深い話ができないので、先生に頼らず自分で話し相手を見つけなくてはならない。

 

あ~、岡村先生と山口先生、坂本先生を大切にするのは私の心の内だけでいい。絶対にあなたを離しはしないと口に出さないでいよう。
心が満ち足りている…水を得た魚みたい。サバちゃんだもーん。

 

後やっぱり大学院に進みたい。

 

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今日はよく頑張った。