日記 2019年12月12日 木曜日
2019年12月12日 木曜日
朝餉に頂いたもの
台湾のパン 中華炒め クリームチーズとジャムのトースト グリルチキン
坂本先生に会いに行く。
今日教えてもらったことはベックの「危険社会」より、現代社会のリスクと、アンソニー・ギデンズの「暴走する社会」よりシングル・イシュ・グループの話
近代の社会運動を省みることで新たな脱近代の構築がやってくるのだなあと思た
ていうてここ200年くらいの中の動きじゃんねすご
しかしまだちょっとわからない部分があるので図書館で借りて読もうと思う。
坂本先生から直接色々教えてもらえるチャンスがあと3回しかないことに気付き、魂を鼓舞して会話に挑んだ。
先生の目から見るとただ緊張してどもっているヘンテコな生徒に見えるだろう。
まっこれはわたしの中での戦いなのでお構いなしさ。
先生はセックスワーカーの実態をどれくらい知っているのだろう、そして一度でもかかわったことがあるのだろかと気になっていた。何故ならセックスを経験したことのない人がセックスを語るのは難しいように、社会から「無い」という形で容認されている売春業を知らなければ話のつじつまが合わない。
ということで聞くより話す手段を使ってできるだけたくさん知っていること、思っている事、不安なこと、社会学にどういう形で沿わせればいいかわからないという話をした。
先生は時々「ウーン」という顔をしたり、何かを考えたり。パソコンに何かを打って調べているようだった。
ありがたいことに、その目はまっすぐで笑っていなかったし、一番恐れていた怒られるということも全くなかった。
先生は、私の話を聞いていろんなことを教えてくれた。
まず。私の分断という言葉の使い方に誤りがあるということ。(正しい言葉がいまだに見つかっていないのでちょっと困っている)
その次に、抽象化の罠に惑わされてはいけないということ。地に足をつけなければ研究はできない。
そして、私が一番関心のある無関心層による認識の“分断”について、それが①メディアの言説②法律③場所のどこから来ているのか綿密に考えなければならないこと
セックスワーカーの手段の拡散性によって無関心層、または買い手の認識が変わってきているのか、それともスポット性があって一般女性でもセックスワーカーに見える場合があるのかどうか。
男性から話を聞くのはやめた方がいい理由→本音・調査倫理・身の危険のリスクがあること
なので経験を人から聞くことによってその男性像をあぶりだすという方法が良い
「女の子を買う社会集団」の定義はどこで行えるのか
などなど
私が元セックスワーカーだったということを先生はすんなりと受け入れていた。受け入れているように振舞ってくれたのが嬉しかった。
先生はわたしに、「私があなたの師であるならばね。」と話してくれた。
昨日ちょうど山口先生に坂本先生は社会学を教えてはくれるけれど、私のしたい研究、もといフェミニズムに興味がないかもしれない。先生は「話が通じる」男性ではあるけれど、フェミニズムを知らない・興味がないときたくさんぶつかる問題があるから怖いなあとこぼしていた。ので、とても嬉しかった。
先生は「こうやってまた話すと良い」と言ってくれた。私が勇気を出して話したことをちゃんと聞いてくれて、欲しい形でレスポンスをしてくれて、褒めてくれたのが、本当に嬉しかった。
調子に乗ってしまったので、ザッフーの新譜の話をちょこっとした。ザック・スターキーの話などなど。WHOについて、瑞々しいよね、と言われてそうそうそうそうそうそうそうとなった。
そして解散した。嬉しすぎて天丼を食べに食堂へ行った。
するとハガくんとギョウザくんがいたので昼食を共にした。
お金が「無」だったけどなんとかなる。だって私坂本先生とあんなにたくさん話したんだもん!
帰路の途中、なぜかまたしてもギョウザ君に出くわす。三宮までいっしょに帰った。ギョウザ君の眉毛は風神雷神みたいだ。
家に帰って猫と遊んだ。要らないブラジャーを振り回すと喜ぶ。
そこから2枚絵を描いた。もう首が限界だ。すぐ体冷えるし眠い、もう寝よう。
そういえば今日の帰り路、バスで天秤座が一位だった。ほらー!