日記 2020年6月16日 火曜日

日記 2020年6月16日 火曜日

 

寝る前に、さわのさんと久しぶりにzoomを使って話をした。

 

私がSDカードを買いに家電量販店に行きたいので母の買い物についていくというと、10時くらいには家出るからはよ起きや、と言われ、実際のところ10時半に起きてしまった。

 

あまりにもいい天気だったんで、庭を眺める猫を撫でながら「(近場の家電量販店じゃなくて)どっか行きたいな」と思っていると、母が突然「どっか行こか」と提案した。
私は興奮半ば「温泉に行きたい」と言った。温泉は結構近い距離にあるので運転する母を疲れさせないと思った。

母の許可が下りた時、あまりの嬉しさに床にスライディングしてガッツポーズをしたのだけど、それを見た猫の驚きようが罪悪感を覚えさせるほどだった。ガシャンという音が3回連続した。しばらく笑っていた。

 

6月にしては暑すぎるなあ。
温泉は山のてっぺんにあって、車なしではアクセスが悪い。免許持ってない私からすると特別な場所なのだ。あまりにもワクワクしていた。
しかし、当の温泉は月に一度あるかないかのメンテナンス休業日だった。よりによって!
潔く諦め、とりあえず家電量販店へ向かい、SDカードを購入した。

 

SONYのRX100というなかなかいいカメラをことしの3月に手に入れたのだけど、手軽なiPhoneのカメラばかり使ってしまっていた。この前機種変して8から11になった。が、容量の問題で泣く泣く猫の写真以外はほとんど消去した。
これでは次の機種変でも同じ目に遭ってしまう…と思っていたけど、あ、カメラあるんやったわーとなった。万事解決。どんどん使う。

 

母と相談して湊川の東山商店街に行くことになった。私が一番好きな商店街。
山道をえっちらおっちら降りて、とりあえず昼食を摂ることにした。下町にあるカレー屋へ向かった。道の途中、暑すぎたので日傘を買った。駅前のおしゃれな店では2500円だったおしゃれな日傘が、なぜか1000円で売り出されていたのだ。やったぜ!
タグを取ってもらいそのままさして歩いた。

 

こないだ、テレビでカレー屋さんの特集をしていた。父がカレーに1000円とか絶対無理と言っていたが、母と私はスパイスカレーの魅力を知っている。
コロナ禍でいろんな店が入りやすくなっている。大きなメニューのボードを掲げたり、扉を開けて中の様子を覗けたり。
不思議なあいがけカレーを頂いた。おいしくてどんどん食べた。フェンネルが入ってて新鮮だったなー。店は狭くて独特な雰囲気だった。ラッシーとチャイを頼み、ラッシーはケロリンのマグに、チャイはワンカップ大関に入って出てきた。カレーもそうやけど、家では作れへんよなー。いっぱい食べて満足した。

 

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食べたカレー 米がぽろぽろしてておいしかった

 

みぞおちが痛いほど満腹だった。
母と昼食の感想を共有しながら歩いていると、道端に蟹がのこのこと歩いていた。こんな所に!と写真を撮ろうとすると、ものすごいスピードで逃げて行った。
アスファルト舗装された道に蟹がいるのは城之崎だけだと思っていた。

 

いよいよ東山商店街のターンである。私はわらび餅を目当てに歩いた。高校の帰り路によく寄っていたクレープ屋さんに案内すると言ったが、二人ともあまりにも胃が圧迫されていて、怪しい所だった。
母の知らない道を通り、クレープ屋さんに到着すると、母が「くれよんやん!」と言った。どうやら母も昔別の場所でくれよんに世話になっていたらしい。
昔懐かしいくれよんのクレープを半分こして食べた。たいそう喜んでいたように見えたのが嬉しかった。

そのまま立ち食いの串カツ屋さんで2本ずつ食べた。野菜を買い、魚を買い、ミックスジュース屋さんで一杯飲み干し、東山商店街を満喫した。
なんども「楽しいな」と言った。晴れていて本当によかった。

 

母とこうして二人の時間を過ごすのは久しぶりだった。
商店街の隙間から時折覗く青空と、その街並みを見ていると_または、ここが神戸であるということ、私が神戸にいるという実感を俯瞰することで感じた時に、刹那的にここから何年も先もこうして生きていくのだろうと想像できる時がある。(伝わらへんかもしれへんけど、阪神の工場地帯だとか、灘やら、夏の高速など、カンカン照りの記憶をたどり、場所を変えて追体験している感じ_を、これから先も続けていくのだろうという悟り?)

 

この商店街、いつまで続くんやろか。商店街の匂い(線香と洗剤、魚の生臭さなど)を忘れたくない…神戸はやっぱり港町だなあと思う。でもって、私はこの町で骨を埋める覚悟ができてんだよなあと思った。私が培ってきた季節への感度、そしてこれからの私…大きな自己肯定の瞬間だった。
いつもは一人で感じるのに、今日は母が隣にいて不思議な感じがした。
一人じゃないとこの気持ちは味わえないと思っていた。

 

家に帰って蟹の世話をした。水槽の水を入れ替えて餌をやった。

もう陽が沈みつつある 夏の黄昏時は良い…オレンジの光が雲や家を覆いつくし、ピンクのようなオレンジのような…そういった形容しがたい光が街を包んでいくとき、私の頭の思考が及ばないところで、大きく脳みそが蠢き、眠りについていくような、そういった気持ちになるのだ。多分、この時間に、さまざまな可能性を感じることができるんだと思う。

 

母は来週から新しい仕事を始め、あまり家にいなくなる。昼に一度帰って来るらしいので、私はそうめんを湯がいて待っている約束をした。