日記 2022年11月7日 月曜日

 

久しぶりにPCを立ち上げてまず思ったことは「画面ちっせ~」だった。こんなちっさい画面が私のすべてだった。でも、なんかWordの画面もショボくなってるし。しかもPINコードを職場ので打ってしまった。普通に萎える。

 

最後に書いた日記を確認すると半年以上前の4月1日を最後に更新が途絶えていた。もっとも、日記を真面目に書いていたのは大学1~3年の時で、4回になると人生の節目にしか書かなくなってたんだっけ。

 

最後の更新は今年の4月1日だ。新生活。

 

日記 2022年11月7日 月曜日

 

はい、社会人になってしまいま~した。毎日社会不適合者だと実感しながらひたむきに労働に勤しんでいます。勤務先は短いスパンで関西圏を転々としていたんだけどようやく地元の神戸で落ち着きそうです。まあこれも長くは続かない。願わくば冬が明けるまではここにいたい。そう思う。

 

近況報告。

さいきんあらゆる方面から怒られ事案が発生している。発端は、最近会う友達が皆示し合わせたかのように同じ話題を口にするようになったことだ。主に、仕事の話、お金の話、恋愛の話。

ナンジャコリャ、同志たちよいったいどこへ行ってしまったのだ。わたしもいつか仕事に染まるのかなと思うと、それはちょっとというか、かなり嫌だなと思う。多趣味な人間だから、幸福を常に感じたいから。仕事に生の使命感を委ねたくないから。理由はいろいろあるけど、要するに仕事は仕事だと思っているが、どうやら仕事の定義が世間一般のそれとは大分ギャップがあるらしい。未だに私は新入りなのに一番遅くに出勤して一番早くに退勤している。誰もそれを咎めないので、そのままでいいと思っている。どうやらそれがいけなかったらしい。「仕事と金と恋愛の話ばかりで嫌だ」という感想から、無意識から意識の表層へと「染まりたくない」という意思が形成されてしまった。さらにマズいこと、この意思が言葉や行動に出てしまうと、たいへんよろしくないらしい。

今まで実際に言われた言葉で覚えているのは「ぬるい」「責任感がない」「学生気分」「ガキくさい」「やる気がない」「逃げてる」だった。仕事は労働ではなくて精神性も捧げるのだろうかと考えたりしたけれど、実際そこに身を置いてみるとあまり意識はしないかなと思う。言われる言葉はごもっともだ。ただ、私より仕事ができる人たちがプライベートを捧げても仕事が終わらない様子を見るに、新卒の私が同じように仕事して勤務時間内で終わることは到底想定しにくい。これだったら全然出世したくないし、学生時代に「社会を知らない」とマウントを取られてきた「社会」の指す現実が「これ」なら、収入と幸福度を天秤にかけて、アルバイトがのが良いなと思うほどである。

 

わたしは社会的責任を果たさないクズ。らしい。さっきから「らしい」を多用しているのは、驚くことに全くクズの自覚がないからだ。

労働に対する姿勢が「正しくない」ことに人は好感は持つまい。わかっていながら自分で受容欲しさにポロポロ零すと、それが結果的に失言をに繋がる。やる気がなさそうな人間と、「やる気がない」と自身で発言する人間はもはや別者だ。こうしてネガキャンに繋がる。言及する権利をばら撒いて怒られる。

そりゃ、頑張りたい人たちからすると場の一体感を阻害している人間がいたら快く思わないのは当たり前だ。どうか許してほしい。わたしは要領が悪くすぐ忘れる、凡ミスばっかり。使えない人材の仕事を評価できないのであれば自然と精神性で酌量を考える人も多いだろう。それがこの有り様だと上記の言葉が出てくるのも心の底から納得できる。

 

書いてて苦しくならないか?

実際、働いている最中が一番つらい。朝10時から正午までの間が一番つらい。仕事、向いてない。だけど今すぐ辞めたりはしない。そもそも労働なのだから。就労して、賃金をもらう。それ以上でも以下でもない。

 

今回日記を再開しようと思ったきっかけは3つある。

皆が話している「仕事」「お金」「恋愛」の話だ。

 

次回、大きなターニングポイントがあれば、いま付き合っている恋人との話を書こうと思う。

 

状況は悪い。しかも今しばらくで冬が来る。長く、冷たく、苦しい冬だ。どうせ今年もぶっ壊れるので、苦手な3つの話から、逃避の成れの果てを記録できたらいいなと思ったのだ。

 

美しさを集める遊びしたい

 

自愛は形を問わないから生産性がなくてもいい。

そういうわけで、いま絶賛モラトリアム、破壊衝動真っ只中の2拍子です。

 

それではごきげんよう、明日は「日記」が書けますように。