日記 2020年5月25日 月曜日

眠たい。でも思考が流れていくのを感じる。止まらないでほしい。すくい上げて私のものにしたい。

 

そういえば、ここ数日正義についてよく考える。

 

日記 2020年5月25日 月曜日

 

[自身の性愛観について]

私はおじさんが好きで、ロマンチストだから、セックスするためだけにリッツカールトン、いい歳して観覧車、ブーケのプレゼント、夜明け前のドライブ、一緒に曲を口ずさむなど、何回でもやりたい。やりたいけど、追体験ってオリジナルを超える事はないからなー。

(追記:ある時は光を纏い、またある時は底なしの闇)

「それ」さえただの人間だと気付いた時、呆気に取られて目がカラカラになったのを覚えている。金と地位を持て余していても、20歳の私と出会ってしまう時点でただの「男」なのだ。上記の「おじさまとしたい♡ロマンチック体験」も、結局カス野郎の掃き溜めでしか出会えないのだから「興覚め」という名の死と隣り合わせになる。そこまで大きなリスクは背負えない。
結局、何かを犠牲にしなければ私の欲求は満たされないことになる。

 

この欲求を昇華させたいと思って一回生の頃はフェミニズムを武器に正義を振りかざしていたんだけど、それは横暴だなと思った。横暴というのは、フェミニズムではなく私の動機を指す。性差別を取り巻く怒りを安売りしてはならない。
ところで正義とは何なんだろう?
敵の正体もつかめないままずっと何かと戦っていて、空虚さを感じることがある。そんな中MUSEを聴いていると、わたしの決断が正しいと後押されている(気持ちを鼓舞される)と感じる_。正義の指針を確かめている間に、私の中で何が起こっているんだろう。
時々感じるその不安(空虚さ)というのは、変容する情勢の中で見つめ続けなければならない場所や、視点であるわたし自身をもっと知ることに注意しなければならない…と思うことが原因として考えられる。義務感から逃れたいのかもしれない。
だって、自分が正しくないかもしれないなんて考え始めたらキリがない。首尾一貫でなければ正義ではない。

正義は楽で気持ちがよい。大義名分でエゴではないし、他者を巻き込むことによって称賛、排斥を自由に操れる。
自分の感じる怒りは護りであってほしい。怒りを持って行動することと、怒りを正義に置き換えることは、手段が一緒なのに異なった結果を招いてしまう。あまりにも恐ろしいのだ。

正しい、正しくないの判断ではなくて、自分の選択を信じて相手を尊重する(ことを努める)ってのに重きを置きたい、置けるようにしたい。
(正義の話お終い)
では、翻弄され続ける自分の正義(とも言い難い感情)以外で自身の在り様に正当性を持てるものとは何か?
やっぱり信仰じゃないだろか。

 

気付いたことを書きだしたい。

 

・私が信じたいのは人の力で神ではないこと
・死後救われるのではなく生きているうちに救われたいこと
・神秘体験や神の導きを感じたいわけではないこと
固定観念に縛られたくないという矛盾を感じていること
・宗教に求めていること→思考回路のフローチャート、不安軽減のためのルーティン(因果関係はなくともよい)、コミュニティ(コミューンというのは現実味がないので)

 

など。

 

友達いないアッパー系陰キャ、高すぎるプライドと自信のなさの狭間で揺れてて美しい。人から受け入れられたいのに、大衆にウケる自分は嫌で、葛藤しがちなのも良い。
https://twitter.com/nonoco_929/status/1264527979532611584?s=21

私には自己肯定感は高いが心の支柱がないので(↑このようにアッパー系陰キャというらしい)、自分に誇りがあればいいなと思った。多分、非言語的な芸術活動で、奉仕ともいう。調査や勉強は私の仕事なので手を抜かないのは当たり前だし、これでいいと満足してしまっては本末転倒なので心の支柱とは言えない。人間関係も財産とは言うが、返報性についてどうにも納得いかない部分が多すぎる。
インプットにおいても、結局天候や私のホルモンバランス、機嫌、トラウマによって個人差が強く出る。私自身の信頼と期待は別物なのだ。

 

正義による正当性を伴わなくて、他者と比較せず、トラブルに左右されない支柱は…やっぱり、第一に信仰、そのための奉仕しかないな~。
私にとっての救われた~と思う瞬間は、快感情を相手と共有できることなので、他者の存在が必須となる。ロマンチックな体験も欠かせない。

 

ここで気付いたけど、私、アウトプット(救済)に他者の存在があるのに心の内側には誰も入れていない…自身の肯定が他者に作用されないのは元からだったのか…。このままではただの博愛主義者みたいになってしまう。あああ…

 

根本的な解決が孤独の回避とはいえ、永続的に欲求は続くのだろうな。それでもやっぱり、生きることを諦めきれない。

 

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小磯良平の絵

 

日記 2020年5月23日 土曜日

日記 2020年5月23日 土曜日

 

久しぶりに晴れていたので家を飛び出した。妹の服を借りて、髪の毛を下ろし、香水をつけた。新しい靴(ナイキのアクアリフト。色はブロンズ)も注文したし、栞も買った。読みかけの本にレシートとかを挟んでいた日々とはおさらばだ。

美術館はどこも閉まっていて、ただ汗をかきまくって神戸の街を練り歩いただけだけど、緊急事態宣言が解除されているので心苦しさを感じなかった。
日傘は買えなかった。今日一日で結構日焼けした。バイトの収入がない(休業補償どうにもならなかった)ので金に困るが、それなりに楽しくなれている。

 

本題

 

見田宗介の「まなざしの地獄」を読んだ。山口先生の部屋(研究室?)を訪れたときにお勧めしてもらった一冊で、私は新書でしか見田宗介を読んだことがなかったから、なんとなく物腰柔らかに、単純明快に、というイメージだった。湊川商店街のはずれにあるデニーズで読んだ。読了するまで1時間もかからなかった。

 

ほんとうは寝たい。もう2時やん。さすがに連日眠れなさすぎる。私が寝ていないことなど誰も知らないし、べつにどうでもいいんだけど、眠るチャンスをふいにしてまでわたしは何を書きたいんだろう。本当に馬鹿らしい。ただ、今年に入って初めて寂しいと思った。

まなざしの地獄の衝撃というか、内臓に鉛が詰まったみたいな感覚に、しばらく助けてくれーと叫びたい衝動に駆られた。
N.Nはまるで自分みたいだったし、救いがない…私の生きている時間は2020年だから、1960-70年のことはわからない。わかっていることは、苦痛を凌げてしまうようになっていること…苦痛を緩和する術を身に着けてしまった。だって「それなりに」やれてる。表面上は改善されているように見える。
50年前に生きていた人は何を訴えようとしていたのだろう。
もはや混沌を極めている現代社会が、この怒りを受け止めないどころか___私はあなただと思えてしまう浅はかな思考にアイロニが存在していた(ように思う)。
解説には、N.Nだけではなく様々な人たち(少年、青年)の存在を織り交ぜて「まなざし」を展開してたんだけど、わたしは彼らを知って、これからどうするのか、なにをしたいか、皆目検討もつかないことが余計に辛かった。その結果が今日まで続く「まなざし」であり、絶望に打ちひしがれる他なかったように思える。

 

痛いほどわかる。私も名前が欲しい。存在を獲得したい。

 

先ほど寂しいと述べたが、この本を読んで感じるやり切れなさを共有することができない人間関係の希薄さに寂しいと思ったのかもしれない。

 

この過去を本人の「現在」として、また本人の「未来」として、執拗にその本人にさしむける他者たちのまなざしであり、他者たちの実践である。
「戸籍」がN.Nを絶望に追いやったのではない。「戸籍」をもって差別する社会の構造がN.Nを絶望に追いやったのだ。
(「まなざしの地獄」より引用)

 

階級の実存か…。しんどいな。
無駄のない文章、切れ味すごいな。胸が苦しい…。

 

まだ書きたいことが山ほどあるのだけど、もう目がかすれて何も見えないくらい疲れている。また後日、数少ない友人に話したいと思う。
それでは寝ます。

 

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日記 2020年5月20日 水曜日

日記 2020年5月20日 水曜日

 

世界に興味ね~~~~~~~~~
身体が思うように動かない。のに、ストレスがある。爆発させることができない…。
多分ストレスの受け身が取れなくなって疲憊期に入ったんではないだろか。

 

先日上げた日記にて、大学教員や研究者のツイートを見るのが楽しみになっていると書いたが、訂正する。もう飽きた。
昨日の深夜、結構尊敬してた人がしょうもない理由でキレ散らかしてて、「はあ」となってフォローを外した(別に怒ることは好きにしてって感じなんだけど)。その人を尊敬していたい気持ちが自分の中には確かにあって、自己防衛的な手段でリムーブしたんだと思う。

 

やっぱり信仰は消費活動なんだと思った。結局、自分のニーズに合わなければお役御免ということか…。信仰に対価を払うのは当然で、そのための労働が信仰の価値を上げている。

 

飢えている方がいいのは知っている。だって、腐った培養液に浸かってるみたいだったあの時は、消費活動を頻繁に行っても、見ている景色、咲いている花にさえ満足することができなかった。生き地獄だったな~と思う。

ただ、孤独に酔うとえらく自分が愛くるしくなる。悲観的というよりかは被害者ヘブンで、なんというか…ほどほどでいいのに。

 

↑は自己陶酔で、自己犠牲ではない。他者との関係がない。
自分は従来の「生活に根付いた」信仰を求めている。

 

去年の夏休み_四国旅行とパリ旅行へ行く直前のはなし
居ても立っても居られなくなり、横尾忠則美術館と兵庫県立美術館をハシゴしたことがあった。未来への期待度が絶頂にあり、非常に能動的で受け身として順応しすぎていた。夏全体が一つの生命体みたいで、隆盛を極めていた。もれなく私もその一員だった。

そんな中、音のしない空間で調光と温度/湿度管理を施された芸術作品を見ていると、夏に飲み込まれていた自分の身体が、ふと、遠くに追いやられるような…生き急いでいると思い知らされる瞬間があった。その感覚は限りなく救済に近かった。

 

べつに、芸術が我々に何を与えてくれるのか、芸術に出会うことで起こりうる変化とは何なのかとか_(?)こういう観点から芸術を語るみたいなことを、ペダンティックに語るつもりは全くなくて…
信仰の結果が救済であるなら、芸術を極めることも信仰のプロセスに近似していると思う。

 

ほんとうに悪い癖なんだけど、ダレて活力のない自分を無理やり生に近づけようとして、ダウナーな何かを摂取しようとすることがある。
エロティシズム的手法だなと思う余裕もない。死にたくないなあと思わなければ生きていくこともできない無力な自分に吐き気がする…
生活が元通りになったら自分はどうなるんだろう。ここまで体感時間が遅い毎日を送っていると気が狂いそうだ。てか気がくるってないとやっていけない。

末恐ろしい(明記は避ける)ものを見て、悪寒を感じることに中毒性を感じて_死体に性器をこすりつけて悦に浸るような、おぞましさがある。自分がどうなっていくのかわからない。
生きている人間が一番怖いのは言うまでもないが、人とか、そういう次元を超えた先に禁忌ってあるのだろうか…とか、ワー収集付かなくなってきた。人間の形を留めるので精いっぱいだ。ホントはトリップしたり、トんでみたい。多分ど~でもよくなって帰ってこなくなる気がする。知りたいという欲求は満たされても、明確化したいと思うあまりに足場が崩れそうな危うさがある。だから、私はきっと誰かの体験を追憶する機会に立ち会うことしかできないんだと思う。
ワタシ自身、こういうチャンスを逃さないために勉強しているんだろうな。

 

 

誰か助けてくださいとか_その誰かは、私しかいない。

 

 

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ザーって流したらこの写真だった 身に覚えがない

 

孤独について

身体が重くて冷たい。頭回るし、どうも貧血らしい。

 

過去の自分の日記を読んだ。何だコレ~!?書いたの自分なのにちゃんと面白い!や、別にオモロないねんけど、あほなこと書いてるなあと思ったり、今ではほとんど忘れてしまった真剣な悩み事を思い出したり、また病んだり、感情が忙しかった。

 

日記っていいなって思った。今では冬季鬱と自粛期間のせいで日記らしい日記こそ書けないが、自分なりにブログは書いていた。その期間のを読み返すと全然オモロない。やっぱり日記がいいんだ。

 

知らんところで成長したり、または落ち込んだり。

感想としては、自分坂本先生のこと好きすぎやろ。去年の後期13回しか会ってないのにほぼほぼ毎日登場してるやん。ええんか?ええか。

 

 孤独について
2020年5月16日 土曜日

 

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孤独についてずっと書こうと思ってた。私は外界とのつながりや季節、知識や技術に興奮を覚えるのだけど、他人とのつながりに満足したことは一度もない。
だから歩き回るんだと思う。行動の根幹に孤独があるのは自覚してます。

 

人から見た自分は、能天気の割にしっかりしてるし、一生懸命だし、それなりに報われてるはずなんだけど、「それ」はいつまでも満たされない。

 

も~、ホンマ人に期待せんほうがいい。
所詮他人、自分に影響があるかどうかで交際の是非の判断をする。私に影響与えてくれる人なんか片手で数えるほどしかおらん!あとの皆はなんなんやろなア。結局、ゲゼルシャフトの中で知り合って、資本主義によってつなぎ留められているだけだ。
ウ 坂本先生も…そうなんかな…

 

関わるだけの人なら山ほどいる。他者と自分のニーズが合致したことがなく満たされないと考えるのが妥当で、決して孤独ではない。質の話ですか?
質_、、ただ話を聞いてくれて、理解してもらえるだけでいい。難しくない。

 

端的に言えば、コミュニケーションに求めているのは返報性ではなく「承認」なのでズレが生じる。あと趣味がマイナーすぎる。世代にそぐわない。

カーッ。興奮を共有できた試しがない。サッカー観て「ウオー!」と抱き合い絆を深める(経験を共にする)とき、私はそこにいないし、私が「ああああああああ!」となっても、隣に誰もいない。自己完結せざるを得ないのだ。
社会性は備わっているので相手に合わせてなんとか気に入られるのが関の山__こんなの終わってる。救われたい…

 

 私には信仰がいる。

 

信仰というのは言葉の通り信じることを指すんですけど、春休みに自分だけの宗教を作ろうと奮闘し、あえなく失敗に終わったほろ苦い思い出がある。

 

脱線するんだけどNetflixの「ミッドナイトゴスペル」が新鮮で面白かった。

 

↓以下感想ツイート

 

自分は自己認識論とかジェンダー論とか「生」に執着してるけどやっぱり宗教は「死」にフォーカスしてる部分が多いと思ってさ〜〜死って全然興味ないからビックリする事いっぱいでベリベリinterestingなのが良い

ミッドナイトゴスペル完走

 

Don't hug me. I'm scared を見た時もそうだけど、これを作り上げるにあたって沢山のスタッフが同じビジョンを共有していることにすごく希望を感じたな。自分の思想を完全に共有したことがないから羨ましくもあるんだけどね

 

思えばエロティシズムも禁忌に極限まで迫ることで抵抗(生)を感じる思想なのでホント新鮮だったなって…死は無なんだけど、だからこそ解釈に無限の可能性があるんだ

 

お終い

 

閑話休題

 

信仰というか、信じることに限定すれば、個人間で結ぶ契約に対しての姿勢に興味がある。おそらく結婚が一番近しいものじゃないだろか。結婚には全く興味がないけれど、結婚を経て、関係性がどこへ向かおうとしているのか知りたいと思う。

 

性愛じゃない愛っていいな~。愛着っていいな~。一生を共に過ごす覚悟と、社会的な契約を結ぶ意味に憧れる。多分、誠意を指す。

 

私はセックスができない。別にできるけど、それでは意味がない。性愛の段階を飛ばして愛着を育むことはできないのだろうか。
愛し合う実感って大切だと思うよ。だけど、そのコミュニケーションの手段がセックスなだけで、結果じゃないじゃん。

 

この間、結婚間近のカップルが慎重にコミュニケーションを取っているのを見て、「あ~これに一番類似している関係性って他人ではないか」と思った。
しかしカップルと他人同士、誠意はあっても「愛」がない。さらに誠意のベクトルが違う。相手のことを知らないから慎重になるのと家族になる覚悟を慎重に伝えるのは天と地の差だ。

 

語るに及ばない。嘆かわし~。

 

孤独に焦点を戻したい。私のわがままを叶えられるのは私しかいない。いつだって自分の欲望に素直に動いてきた。人によく見られたい(気に入られたい)という欲求も同様だった。
「サバちゃんて良い人だね。」
そんなわけあるかい。

 

コミュニケーションに全力を注ぎすぎるせいで山口先生からブツカリ稽古という名称をつけられたりした。短期戦に限るけど、自分の納得いくまでやることが多い。
しかし報われないことの方が多くてメチャ疲れる。だって相手はそこまで望んでないし、自分は感謝してほしいわけでもない。

ていうか!ほんと、言葉の通り自分で納得するまでやるだけで、結果は相手に委ねられていない。のに、あなたがそこにいる。所謂、皆様の見せる誠意と、私の欲求に素直な行動から読み取れる誠意は交差しない。ただ平行なだけなので、類似しているけど「違う」のだ。

 

孤独は自己愛の結果なのでしょうか。

 

過去の日記を読み返すと、「自分は実力もないのに、燻ぶっている(原因は環境にあると思っている)と勘違いしそうになりすぎてこわい。」て感じの文章をたくさん目にした。

確かに、まだ自分の特性をうまいこと発揮できてないよな。ただ、社会や事象を理解するより先に自分を理解することの方が重要でさ。だって是非とか最初からないから「どこから見るか」の視点を養わないといけないんでしょ。
まだ二十歳だし。土台作りに勤しむのをおざなりには出来ないよなあ。

 

結局、選択は間違ってはない。ただ、代償として孤独を迫られるのは納得がいかないのだ。
ヤマダさんが「勉強すればするほど独りになるっていうからね」とよく慰めてくれる。優しいなあと思う。孤独と不安って近い場所にあるんやわ。このままで良いのかすごく不安だ。

 

確信が欲しいから信仰が要る。不安さえなくなればどこまでも進めると思う。

 

キーワード
「孤独」「信仰」「不安」

 

今ずっと家にいて先生と会話できないし勉強してインプットできてる手ごたえもなくて、まさに孤独だなあと思うんだけど、昔から独りなのは変わってないし、多分皆部屋で一人でいるので、私だけがということはないんだよな。
同調や連帯という言葉の取り扱いが難しいけど、心的つながりを信じることには支障がないと思いたい。

 

大きな力で、人(々)のことを導くのではなく、信じたい。それは愛とかいう。(過去のブログより)
愛~~~~~~!!!??
信仰よりも熱があって、肉みたいにやらけー!変容するし、裏切りもありますけど!
しかし、我ながら人ってのが具体的じゃないあたりが良いな。

 

孤独を語ることが、嘆くことだけじゃなくて良かった。とりあえず今は充分かな。

 

またこうして自己完結に満足して眠るのだ。だれか褒めてくれ。褒めるって、語感がウットリしてていいよね。じゃ、寝ます。

日記 2020年5月16日 土曜日

2020年5月16日 土曜日

 

木曜の夜、radioheadが2016年のサマソニ東京公演をユーチューブでリアルタイム配信していた。あんま観る気にならなかったが、どうせほかにやることはないので観た。
30分出遅れたことを後悔するくらい良かった。久しぶりに興奮したし、radioheadやっぱ好きなんよなあ、などと再確認したりした。

 

2016年というと多分高校2年生かな。すごい佳境にいて、毎日大変だった。2015~2018年を振り返るといつも変な気分になる。

ただ、過去と向き合うのもう飽きた。これから目まぐるしく可能性のある未来に進んでいかなくてはならない。もうええやろ。

 

こう、一人でいるとずっと思案を巡らせているが、そのうち過去をほじくり返してさまざまなトラブルに行きつく。そして「相手を更生させたい」的な欲求をもってシミュレーションを重ねるせいで、収拾がつかなくなる癖がある。そうならないために、普段は歩き回って景色とかの情報を処理することで気を紛らわしている。
が、今となってはそれもできない。

 

私はもともと外出しないと気が狂うタイプで、自粛期間の最初こそ髪の毛を掻きむしって「いー」とか「ぎー」とか言って泣いたりしていたのだけど、心よりも先に身体が家に馴染んだらしい。模様替えと断捨離のおかげでだいぶ過ごしやすくなった。

 

暇なのでツイターを見る。最近は大学教員や学者のアカウントを好き好んで観察している。別に教養溢れるツイートにあやかりたいわけでもなく、あの人たちのツイートから生活感を感じたいというだけなのだ。それだけでなんかカッコイイ。いいなあと思う。
たまに文献を紹介してくれたり、オンラインのシンポジウムの告知が流れてきてイエ~イとなる。

 

Webに連載されてるタイプのコラムやエッセイも読むようになった。こないだバズってるツイートに寒いリプをつけている人のブログを読んでみたら、「カスやな」と言わざるを得ない内容のオンパレードだった。ある程度著名で私が尊敬している人の文章しか読めないっぽい。

 

今のところお気に入りは『にがにが日記』。岸田繁の『石、転がっといたらええやん。』が好きなのでドンピシャだった。日記の中の岸先生(でいいのか?)はメチャクチャ忙しそうだし、たくさんの人に囲まれていて眩しい。

それと自分の日記を見比べてみると、こりゃ自分自身に何もないことの証明にしかならないな。と思った。学がないし文才もない、孤独だし、忙しくもない。

でも、言葉を紡ぐことによって自分の思惟が明確になるから日記書いちゃうね。それと、少しでも文字を書くのに慣れといたほうがいいじゃんね。よって自分のためです。読んでいる人が少ないのが幸いですわ。

 

いま皆家(部屋)に一人だ~。
坂本先生に連絡はしてない。山口先生とは4回?くらいzoomしたり、ラインしたり、電話したり。先生方は忙しいんだろうなと思う。

 

きのう新しいゼミが始まって、先生(以下村山先生)にフィールドワークしたいんですというとまあまあ辛辣な返事がきて「はあ、」となった。
別に事実を言ってるだけだったし、自分には抱える問題をカバーできる人脈や手段があるので心配には及ばないんだけど、「甘やかしてはくれないんやなあ」とおもった。
甘やかされることと優しくされることは別物だけど、なんというかひたすら自分は恵まれていたんだな、と痛感した。

 

あなたがやりたいのは社会学ですか?と聞かれると「まだ答えかねるが」と思うけど、心理学でないことは確かで、最近になって社会学にもいろいろあるんだと知った。
次に会ったとき、「成長したな」と思ってもらえるように精進するしかない。とりあえず、本は読む。

 

社会学部に入ってればよかったなあ。さらに言えばこんな大学じゃなくてもっと良い所行けばよかった。AOで楽勝だったから浮かれてた。とよく思うけど、今の大学で今の学部じゃなければ先生に出会うことはなかったし、「なんか思ってたんと違う」の「思ってた」を追求してここにたどり着くこともなかったと思う。

 

穏やかな一生を過ごせたのかもしれないけど、そうでなければ己の使命感はなかっただろうし、学問と向き合うこともなかったんじゃないかな(と自分を元気づけている)
Twitterより)

 

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9月

 

そうそう、何しとんねんって話なんやけど、坂本先生の論文を読みたくてサイニー漁ってもたけど読めそうなのがなかった。
ただ、エンパワメント批判してるのはわかって、ずっと前、先生がエンパワメントって言葉安易に使いたくないって言ってたのを思い出した。
あの時は世間話というか、先生から零れた「ありがたいお言葉」だと思っていたけど、先生の人生に一瞬触れたんだなと思った。きっしょいことを言いたいんじゃなくて、こう、会話中から砂金みたいに「質」って拾い上げられるんや。ていう話です。

 

リハビリ終わり。夜に本題書く。

わたしの恋愛はファストフードではない

2020/05/11

 

歩きながら文字打つんしんどいなあ。てか苦手や。なんのために歩いてるん?

 

 


 わたしの恋愛はファストフードではない(2020年4月21日)

 

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これはおうち時間

 

こないだ惰性で関係を持った異性から連絡があり、わたし自身の恋愛観を見直すいい機会だなと思った。というのも、彼とわたしの間で大きな溝がありその違和感を拭えなかったからである。

 

私は男性を楽しませるのが得意だと思う。
他人に対して自己開示してコンテンツ化を図るのとは別に、男性には一種の「恐れ」を抱いている。わたしはもともと男性恐怖症だったのでそれの名残かもしれない。怒らせないように、相手が気持ちよく振る舞えるようにと植え付けられたさまざまな所作が抜けきらないのだ。
単にわたしと年配のおじさんたちの相性がいいのもあるかもしれないが、それは置いておく。

 

こうして行われるセックスというのはある種の解放(Liberty)で、お役御免みたいな部分がある___平たく言えば、セックスはわたしにとって下克上なのだ。復讐の手段であって、快楽やコミュニケーションは二の次ぽい。
つまりわたしと関係を持つだけで「お前もただの男」という証明になり、私の心は愉悦に浸る…それだけで十分だった。
随分ちっぽけな復讐だなと思われてそう。

 

ただ、肝心の男性はというと敗北を感じているわけでもなく、「達成」に近しい感覚を覚えていると思う。

それを見て興覚めとか、萎えるとか、そういう感じ。
最近になって負の感情が上回り、みっともない…と思うようになった。

 

ちなみに私は賢い男性が好きだ。男性に限らず、膨大な知識や力の前にひれ伏す快感は忘れ難い。最近で言えば中国の国力というか人間の持つ力にひれ伏したいと思う。

 

皆一様に「恋人が欲しい」と言うけれど具体性がなくて嫌やわあ、ハッキリしろよと思うことがある。
そういう人は大抵何も考えていない上に、私はイケるかイケないか、みたいなジャッジにかけられているみたいな思考が漏れていて非常に不愉快だ。彼らのゴールは何だ?時折考えるが所詮セックスか共依存関係のどちらかだろうな。

 

そんな事よりもっとロマンチックなものが欲しい__以前日記に「私の行動の根幹には孤独がある」と記載した記憶があるのだけど、それを埋めるのは日常生活を共に過ごすというもので、多分「デート」のニュアンスが近い気がする。私は感受性が高いので、いろんな体験を通して出てくる感想に共感して欲しいと思っている。

え、ちょっと待って文字に起こしてみるとクソつまらんくてビックリすんねんけど。具体例はありません。だって言っても通じへんし。

私が美しいと感じるものを相手が美しいと思ってくれたら嬉しい。さわのさんはキッタネェ中華料理店を気に入ってくれたし、「つまらないクラブでサバちゃんと険悪な雰囲気になりたい」と言ってくれた。私の望みを叶えてくれるのは今の所さわのさんしかいない。それくらい貴重な感覚(普通の人には備わっていない感覚)なんだと思う。

 

そして皆は私の「そんな事より」の内容に、正にそんな事より、と感じているのだろう。

 

ツイッターの呟きまとめ

 

言っちゃいけないことを言う快感ってのは洒落にならんほど気持ちいいんですよ 共有できたらもっと楽しいのにと思う みんないい人ばかりでつまらない
10:56 AM · Apr 12, 2020

 

皆、炙り出されるさまざまな欲求をひた隠しにしながら時を重ねていてすごいよ。内心穏やかでいられない。ジェラシー以外の何者でもねー。
11:39 PM · Apr 16, 2020

 

巷の人々、恋人は欲しいしセックスはしたがるくせにロマンチックじゃない 致命傷 恋人にならなくてもダンスは踊れるのに 勿体ない
12:38 AM · Apr 18, 2020

 

閑話休題 2020/05/11に進行する
二つの文章を一つにしたものなので似通っているところがあるけどご愛嬌ということで。さらに言うと全く意識せずに書いたのにさわのさんについて記述しているところがあってびっくりした。

 


歩きながら文字打つんしんどいなあ。てか苦手や。なんのために歩いてるん?

 

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夜の散歩

 

けっこう遅い夜
THEE MICHEL GUN ELEPHANT のPINKが流れて、あ、ってなってん。夕方のグラデーションにナイフ入れたみたいな曲。ティーンエイジャーの真髄ってコレや、ってずっと思って聴いてた。
10代、人の言葉と音楽を借りてきて「私ってこんな感じー」と叫びたくなるくらいには青かった。文字を書くことを知らなかったし、自分には男がいた(その男と過ごした時間が財産だった)。

 

外出て歩くときは大体夕方から夜の間で10キロを目安に歩いてる。半袖着てるけど夜になれば普通に寒い。裸で布団にくるまってる時は体感温度のパラメータがあっち行ったりこっち行ったりするのになあ。「暑い」剥いで、「寒い」。
ともあれ、クソみたいな田舎に住んでるんやけどさ。暗くて平坦な道を歩きながらスーパー行ったんよ。そしたら、ヴィトンのリュック背負った女の子がご丁寧に髪まで巻いて、その友達とスーパーの入り口で自撮りしててん。
オイここマックスバリュやねんけどとかツッコミしたくなった。が、かく言う私も緊急事態宣言が出て最初のうちはそんな感じやった。

 

あ、そうそう なんのためにわざわざ歩きながら文字打っとんかって話よな。
こんな毎日じゃ、インプットにも限界がある。と、思った。
噛み砕いて取り入れるまで結構な時間かかる。私は多分歩き回って考えてるって気付いた。

わかったことも沢山ある。自分には集中力が無いから、映画館じゃないと映画を満足に見られないこと
何もしてなくても1日が終わること、まああと諸々…

 

 

歩き回って、色々考える。

 

 

で、そのマックスバリュは私の一番好きなスーパーマーケットで、私はスーパーに対して並々ならぬ熱がある。マックスバリュの奥にはハイウェイがあってその辺に沢山ラブホがある。どっかの男と寝る前、良くマックスバリュに寄って私は毎回この場所がとても好きだと言った。

 

今日は1人で来て、まず眩しいなあと思った。胸が熱くなる。気が高ぶってくる。
マックスバリュは広いし品揃えがすごい。スーパーマーケットは幸せの形だと思ってるんやけど、「あ〜、さわのさん」と思った。「もし一緒に東京に行くことになったら、資本主義に怯えましょうね」という言葉を思い出し、私さわのさんのことすごく好きだ、と思った。

 

なんか、はっきり言えないけどさわのさんのことめちゃくちゃ好きだな 生活を共に送りたいとかいつも思う 特別じゃなくて当たり前だったらいいな〜って
Twitterより)

 

そして適当に見て回り、飽きてきたところで店を後にした。
帰り路でPINKが流れて冒頭に戻る。そう、ティーンエイジャーの曲やねんっていうやつ。

 

最初は私の10代に思いを巡らせていたんやけど、マックスバリュでさわのさんのことを考えていたこともあり、途中でさわのさんに寄稿してもらった文章が浮かんだ。
彼女の10代の話で、彼女の変化についての原稿だった。

 

なんとなく、今日の散歩がなければPINKを聴くことなんてなかっただろうし(二十歳になってから初めて聴いたし、10代の頃ラインミュージックに設定するくらい大切にしていたのに存在さえ覚えていなかった)、マックスバリュでさわのさんに対する欲望ってなんだろう?って考えることもなかった。

 

さわのさんから原稿をもらったあの時、私はショウゴたちとニムトっていうゲームをしてて、ながら見で恐縮や、と思いながら拝読したのを覚えている。
日付超える前、ギャーギャー騒ぎながら、さわのさんの原稿を読み、その熱が少しずつ床に逃げ、とうとう体の重さに耐えきれず猫背になってしまった。
そういう感じ さわのさんの文章はすごい。のに、感想が何も出てこなかった。

 

この時にようやく自身に落とし入れるまでがインプットなんだと気付いたし、インプットにはしばらく時間がかかると悟った。

多分だけど、自分は体験として情報を処理した方がいいんだと思う。

 

わー、やっと繋がったー!と思ったら、9.8キロ歩いていた。バス停のすぐ側に公園があって、そこをノロノロと200メートル歩いた。

 

余談

 

歩きながら文字を打ち込んでる途中、向こうから走って来る車から火花が飛んでいることに気づいた。
ヘッドライトに目が眩んで立ち止まってみると、ものすごい勢いで何かがこっちへ飛んできた。ヒョイと交わしてみるとタイヤが通り抜けていった。事故だ!
私の目の前で車は停まり、ひどい匂いがした。運転手に声をかけるか迷ったけど、免許持ってないから車のことはよくわからなんだし、双方怪我してないし、そのまま歩いて帰った。

あらあらまあまあ

2020年4月1日 水曜日

 

とうとう四月ときた。勘弁してくれよ~。

 

以下、2020年4月1日のツイートを纏めたものである

 

コロナの影響がモロ出て後ろ盾や社会保障のない夜職とかライブハウス、芸術活動で食べていっているひと達に対して心の底から納得できる意見がツイッターに落ちていない 自分で考えろということね

 

まず知ることから始めなければ 苦しいってことが全部なんだけど、国の補償とか全然わからない
他の国と日本がなんでこんなに対応が違うのか、税金をどのように使っているか、私の身の回りの状況把握、全然知らんな、、、

 

私たち歴史的局面にいるのかな

 

私にできることってなんだろう?もうちょい言えば、こういう時に力を発揮するための学問なんではないか?わかってることは1人だけではどうしようもないこと 時間の流れは一定に感じないこと

 

でも自分の中で結論を出したり何かに気付いたりするっていうのはインプットありきで成立するものであって、今のままでは質が悪すぎるんだ なんのための学校なんだ…限界だ……

 

要するに不安になってるんだ 状況把握ができていないこと、私の本来の目的が遂行できないこと、未来がわからないこと、無力だと痛感したくないこと

 

 

新型肺炎に罹患しないことはもちろん、家族に菌を回さないために家に籠って数日経つ。しかし今日からバイトがある。しかも5日間連続でだ。なんでシフト入れたんだろう。経済的状況の危機は避けて通れない…。本当は仮病使ったりして出勤を取りやめにしたい。でも私が行かなかったら誰かが代わりに入る どうしようもねー 不安を取り除く方法を知らない。
国の補償は学生にも下ります?一世帯とかなんとか聞いたけど、調べないとな…。

 

3月28日、韓国のn番部屋事件を知る。その日アヤネと一緒に温泉に行き、夜に飲み会があった。自分の中で塞ぎ込むには無理があった。

 

飲み会では思ったよりすぐに酒が回り、2回吐いた。家に帰る途中耐え切れなくなって声を上げて泣いた。

山口先生に「どうしよう」とラインを送った。しばらくして、風呂に入り昔のことを思い出したり、私の能力をどのように発揮できるか思索したり、言いようのない絶望感にまた泣いたりした。被害者の方々が心配で仕方ない。普通の人生に戻れるだろうか。私にできることって署名だけなのか?

 

先生に、「落ち着いて、サバちゃんがフラッシュバックしていないか心配なんだよ」と言われて、まだまだ弱いなあと痛感した。“繰り返してはならない”に留まってはいけない。

 

先生からのライン→サバちゃんにはとてもスピードが遅く見えると思うんだけど、今日明日では解決しないと思うんだよ。途方もない時間のなかを、少しずつ根気よく進めていってくれてるひとたちが確実にいるから、連帯しよう。

 

n番部屋事件を分析するには韓国のことをもっと知らないといけない。法律、日本とは違う女性嫌悪のロジック、韓国フェミニズムの歴史、これ以外にも知らなくてはならないことが多い。

 

クソ、何も書けない。

実際28日も何か書こうとして2時間粘って「何も知らないお前ら」としか書けなかった。
言葉の背景を語る気はない。私自身怒りの矛先が定まっていない。ミソジニーを批判するといっても、ミソジニストや男性を批判するだけでは解決にならないし、ミソジニーは根がない。「家父長制め」と言っても違う気がする。社会か?

 

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機会の均等■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(中略)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■今しかない。今しかないよ。

 

先ほども挙げた通り、私が無力さと不安を感じているのは何も知らないからだ。新型肺炎も、n番部屋事件のことも
あまりに視界が混濁しすぎている。情報と雑念が溢れかえって私の知りたいことやタスクがあやふやになっている。これを自覚できているだけまだ救われているのだけど…
大学が、学びを得られる場所が、どれほど贅沢なものだったのか今になってよくわかる。私は学ぶことと考えることが仕事だけど、そうじゃない人たちはたぶん専念できない。それぞれの仕事があって、生活があって、余裕なんてない。


私ができること…ミソジニーの定義を完全にインプットする。生活の中で取れる最善の選択の連続、あとは、目を逸らさずに見届けること。

 

ニューエラ
そういえば、金先生も坂本先生も、「使命感」という言葉を使った。大切にしなさいと言っていた。もちろん私の正義の話ではない。

 

死ぬほど気持ち悪い。せめて、ありのまま話をしてそのまま通じる友人が欲しい、友人という役割に執着はない。友人はたくさんいる。待てよ、なんなんだよ?

 

実をいうと日記の公開も見直そうと思っている。
私の思惟を安売りしているな~大切にしろよお前を。
セルフケアイズザモーストインポータントってさ、これを読んで偉くなったと言われたりしたけどそんな価値はないし、タダの知識は「お情け」でしかないしな。知る権利って行使しにくいやん、理解するまでの土台作りって難しすぎるし私のことを理解した気になられても困る。優しくなれへんああ多分コロナのせいや。y~

 

現に私はバタイユの言葉を借りてばかりだ。ダメすぎる。ダメなんだ。限界だよ誰か助けてくれ

 

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適当にばらばら書いてみたけど、散文的でも別にいいと思う。最初っから纏めようとしてろくな構成にならへんからな。ではこの辺で