指輪の話

 

不満はない。ただ、耐えられなくなるだけで。定期的にどこかへ行きたくなるというより「飛びたくなる」のだ。

久しぶりにニューオーダーのMusic Complete を聴いている。この身体をどこへも連れていけないなら、記憶の欠片を辿って過去を旅すればいい。

 

 

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指輪の話

 

私には大学1回生の頃から(正しくは高校2年生の冬辺りから)小さな指輪をつけている。元はチャイハネみたいな雑貨屋に投げ売りされていた100円のピンキーリングを願掛けにしていた。その指輪に命を懸けていた。

 

時は流れ、大学1回生のときに指輪を買い直した。シンプルで上等な品だった。ピンクゴールドは肌の黄色い色によく合った。着ける場所に意味を持たせてしまっていたので、右手の小指から薬指の第二関節に変えることにした。風呂に入るときも、眠るときも、外す必要があるとき以外はほとんどそれを身に着けて生活していた。願掛けという役割が無くなってからも指輪は私の精神の拠り所だった。そのため、たまに紛失して正気を失うほど動揺したりしていた。

命の次に大切なものだと思う。4年の歳月を共にしたというだけでも、私にとって「4年間肌身離さず」という私自身を説明できる要素として重要な役割を果たしていた。私自身で自分の価値を証明できない以上、私は身に着けるもの、纏うものに委ねがちだった。

 

 

そして現在_…4年経った今、もう解放してやっても良いんではないか、と自分を諭す機会が多くなった。きっかけは指が痩せたことだった。ふと気付くと無くなっている。最初こそ顔面蒼白になりがらも来た道を戻ったり鞄の中やポケットを探って死に物狂いで探していたが、大体物を取るときにスルリと指から抜けてしまうため、買い物袋の中に入っているのだ。指の感覚への注意が欠けてきているのかと思ったが、指が痩せたからだと明確に自覚したのは3日ほど前で、ほぼ毎日風呂で頭を洗っているときに大体髪の毛と一緒に流れていってしまう所にあった。

 

私はこの指輪をどうしたいんだろう。購入した日のことをよく覚えている。まだ桜が咲いていた春の夕方だった。「着けて帰ります」と早足に店を後にしてバイト先へ向かった。労働終わりに夜の公園でオレンジの街灯に照らされた桜の花びらと買ったばかりの指輪を交互に眺め、「これから先の一生を共にするんだ」という覚悟にも似た感想を抱いていた。

 

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写真が残っとりましたわ

 

こうして思い出を振り返ってこれからを模索していくわけだが、結局私にとっての「特別」が生活に馴染んだところで身に合わなくなってしまったというそれだけの話なのだ。よく外れるのが不便だ。だからといってずっと装着したいと思うほどの思い入れは失われてしまった。愛着は歳月をかけて育むはずだけど、なぜか4年という節目を迎える時には…というオチだった。

 

そもそも第二関節に指輪を着けている人間なんて珍しいものだから(諸説あります)、それは私のアイデンティティにも繋がっていたと思う。関わる人たちが、少しでもその指輪に関心を向けてくれたらいいなと期待していた。

右手が痩せたなら左手はどうか、と思索したことはあった。試しに反対側へ移動させてみると、あまりの違和感に10分も着けていられなかった。4年かけて一体化させたのか。と、生活に深く根付いた指輪の「どうしようもなさ」に改めて打ちひしがれていた。仮に左手への移動が叶ったとしても、左手の薬指がもたらす社会的な記号の影響力は計り知れない。その都度説明しなくてはいけないと思うと気が重い。

 

つまり、私は指輪_ないしは精神の拠り所がなくても生きていけるようになったのかもしれない。明けない夜などないが、暗闇の中で他の誰でもない私の声に殺されそうになった時、在るべき死の強迫観念から来る恐怖に歩けなくなった冬の夕暮れ、私は確かに縋っていたのだ。救済が指輪という形をもっているのは有難かった。宗教に詳しくないのだけど、神職の人が持っている数珠や十字架と似たような役割があるのではないかと思った。第二関節の感覚に生の実感を集約すると、安堵することができた。

 

話は変わるが、ここ数ヶ月日記を書いていなかったのだけど、それも関係あるのかもしれない。「書かなかった期間」の中での変化は把握できない(記録として残していないので)。夏季休暇のあいだ、大学生活の中で一番本を読まなかった。そして、一番本を読みたいとも思った。一度歩みを止めることで進む方角が定まったりするものなのだろうか。功を奏すかどうかは私の頑張り次第だろう。日記を書いていないわけではなかった。書ききれなかったのだ。どうしても自分自身の苦しみに関心を寄せることができなかった。「どうでもよかった」のだ。そうして、ようやく念願の生きづらさのない「一般人の感覚」を体験することとなったが、問題の解決自体には繋がっていなかった。ひと夏の夢のようだった。生きづらさの根源には孤独が横たわっているのだと改めて痛感した。

 

もう夏は終わっている。これから実りの秋へ、そして孤独や寒さを耐えて過ごす冬が訪れる。夏季休暇が楽しかった分、年度末へ向けて襟を正して生活していかなくてはならない。頑張りますと口だけなら何とでもいえる。まずは本を読み、学生の感覚を戻していきたい。

 

メモ

 

私のことを誰も知らない何処か遠くへ 遠くへ

(2021年8月31日 時間不明)