日記 2021年10月4日 月曜日

日記 2021年10月4日 月曜日

 

 2年ぶりくらいに壁を殴った。限界が来ていた。表面上の体裁を保つためにできるだけ殴らないようにしていたのにこのざまだ。

 今ここで助けてと叫ばなければ誰も私の苦しみに気付いてくれないんだろうなと思う。コミュニケーションの限界から他人に干渉されたくなくて、「やってられま千円」と茶化したり、できるだけ「ふつう」を装ってきたけれどもう駄目だった。目の前にいる人に対してどれだけわかって欲しくても_言葉を紡ぐことさえできない。いざ人に話そうとするとそこから動くこともできない。人に救済を求めてはいけない。わかってる。

溢れるほどの憎悪の感情を排出すべく全身に力を入れる。吐き気さえ感じるほどなのに、手足は冷たく石のように硬い。自分を責める声に黙れと叫び、破滅の欲求を押し殺して震えて泣きながら_…秒針を眺めて時間が過ぎることだけに集中する。口呼吸。下を向いて涙を落とす。とてつもない苦しみだ。身体的な痛みに置き換えた方がましだ。死んだほうがまだましだ。誰かに、死ねと言われた方がずっと楽だ。喉元過ぎればなんとやら、しかし熱が冷めればたちまち鉛となって私の身体を重くさせる。

本当は_なぜ辛いのかなんて言葉にしたくない。病巣を明らかにしてどうするつもりだろう。何故傷つけられたのかなんて誰が知りたいと思うのかな、凪いでいる海に隕石をブチ込むのは私でしかないっていうのに。なぜ辛いのかわからない課題をクリアしたところで、今度は人に理解されない苦しみへとステップアップするだけだ。

なぜ辛いのかではなくどうお辛いのかという話だけど、まず通常の状態でいられない。沸騰直前のぐらぐら煮えた湯のように自身の輪郭が曖昧になる。気を抜くと発狂してしまいそうだった。もはや私のコントロールの利かないところに身体はある。そのため、私が私の形を保つために、痛みを与えて身体の限界で枠を作る。抑えるやり方はこれしか知らない。生の実感とはよく言うけど、愛おしさとはかけ離れていた。より私の生は祝福されていないのだなと感じる。

苦しみを形容できるうちはキャパシティに空きがあると思い込んでいたけれど、徐々に心が壊れていく感覚はあって私はそれを眺めることしかできない。苦しみの波が来る度にどうにかやり過ごすことだけを考えて_そうすると他に何もできなくなる。それが過ぎると精神的にも体力的にも完全に疲れ果てて眠り込んでしまったり、タスクを見送ったり…。苦しみを中心に生きているのだと思う。生が遠く離れた場所にあるからこそ、生を追い求めてもがいている。こんな空しい話があるか。昇華の瞬間に立ち会うことが救済になるならば、私はこのヘドロの道で生きることが常となる_悪循環だし、不健康だ。許されたい。この苦しみから解放されたい。逃げ遂せた先で、平穏な暮らしを手に入れたい。

残念ながらこの話にはヤマもオチもない。これは現状打破ではなく現状維持の話だ。いま、部屋の窓を開けているのだけど、隣の家から茹で上がったパスタの匂いがする。どうやら今日はミートソースらしい。できることなら私もサッサと逃げ出して、何に怯えることもなくその味を堪能したい。

 

例に漏れず最近ずっと「問題は解決したけど自分の感情と向き合わないと自分が終わってしまう」感がすごくてな〜謝ったから許したとかなかったことになるとかに耐えられないんだ

午前0:13 · 2021年10月3日·Twitter for iPhone

 

誰かに話しても共感してくれるのは一握りだけだし1人でシクシク泣いてるのが1番良いんだろうけどこの空虚な感じ本当にやだな、冬になったらもっとダメージでかいと思うと余計にしんどい

午前0:16 · 2021年10月3日·Twitter for iPhone