スポーツの話

スポーツの話

 

最近アニメをよく観ていて特に弱虫ペダルが好きなんだけど、「男子高校生」が「部活動」を一生懸命に頑張っている姿を見てあああ〜尊い〜みたいな気持ちになっていて誰かにスミマセンと謝りたくなる。青くて全力で、それが有限だからか愛おしく感じる。

しばらくしてユーリ‼︎on ICEを観た。主人公が23歳、そのコーチが27歳だった。弱虫ペダルと同じように、殆どの登場人物がメダルを取るために努力していた。そこで気付いたけど私は「男子高校生」ではなくて、ひとつの目標を達成するために日々健闘している人々を見て胸が熱くなっているのだとわかった。男子高校生というカテゴリに興奮(性的なものではないにしろ)していない(青さと健闘を切り離して捉えられる)ことに安心した。

 

大人になった今スポーツの大会に出るだとか毎日トレーニングを頑張るだとか、何らかの目標に向けてコミットする事が容易くない環境にいるので非常に強い憧れを抱いていたのだ。

 

ユーリ‼で印象的だったのは主人公の勝生勇利が氷上に戻るためダイエットしている場面だった。比較するもんではないのはわかっているけど、私がダイエットする理由が勝生勇利に比べてくだらなさ過ぎる。目的に合わせて身体を絞っている勝生勇利にとってその身体は精神的なステータスに繋がらないだろう。私は美しい身体を手に入れて一体何をするつもりだ?

今すぐ走り出したい気分だった。意欲はあるのに私はスポーツが苦手だしボールやラケットやシューズ、果ては運動用ジャージに至るまで何にも持っていない。身体は固いし運動音痴、オマケに太っている。明白である。私そのものがスポーツに向いていない。

 

スポーツは良い。目標が設定されているのでたやすく達成感を感じることができるし、ゲームを通して言語を介さずコミュニケーションを行うことでチームメイトと信頼関係が築ける。勝利の「瞬間」を共有することができる。羨ましいなあと思う。私の領域である創作活動とはまた違うところにあって、少し動物に近い…つまり頭の動く部分が違う。人と人を繋げ、基本的にポジティブな役割だ。なおかつ身体表現としては「頑張っている」ことが何よりも伝わる。一生懸命にゲームをする選手に心を打たれ、鼓舞され、勇気を貰える。

基本的にスポーツは1人では完結しない。ライバルとゴールを争う事でさらに次元の高いゲームになる。相手の存在を意識してモチベーションがさらに上がる。さらに自分自身がどこに属しているか、という認識から仲間意識も強まる。いいな〜。

 

そう、1人でするものではないのだ。なので私が今できる事といえば応援するくらいなんだけど、スポーツ観戦を通して貰う感動は、一体誰のものなんだろう?私はもらった「火」を昇華しなくてはならない。仕方がない。そういう星の元に生まれたのだ。

スポーツアニメは手っ取り早く感動がもらえるし「火」を獲得できる。プレイヤー目線と観客目線、どちらの視点も獲得できるからだ。だからこそ危険だなと思う。いや勿論感動するのは良い事だし、私は何らかの形でお返し__貢献したい。だけど、それは私自身が何もしていない事のあらわれなのだ。野原を駆け回り、息を切らし、心臓を破るような血の躍動に酔いしれたい。脳でエクスタシーを感じるよりもずっと直接的で__良いな。訴えかけるものがダイレクトで心を揺さぶられる。

 

結局何が言いたいって私は自分の人生を自分で選択して生きてきたので、スポーツは避けて通ってきたと言っていい。だけど今はスポーツがしたい。というか、わかりやすく「がんばりたい」、頑張っている最中にステップアップを実感したいのだ。

創作活動はいつでも手探りで手応えさえ怪しい。健康から最も遠くて共通のゴールさえない。認められるかもわからず常に孤独なのだ。意思のある孤独を、とCMで誰かが言っていたけど、その意思を持続させるために何が必要なんだろう?そりゃ名誉でしょうよ。「わからせ」るために、自分自身の存在意義を委ねてしまうのはかなり脅迫的だ。基本的に、何も無くても生を肯定されたいので必要がなければ創作活動なんてとっくに辞めているだろう。

 

赦されたい。報われたい。そういう気持ちに正当性をつけて創作活動をするのはどうしたってエゴの塊で、私は達成の瞬間を目の当たりにできるスポーツみたいな新しい手法に強い憧れを抱いている。勝利(達成)の瞬間と喜びが直結しているのも羨ましい~~!

 

誰か私とスポーツしませんか?一日中走って、もうこんなのうんざりだって一緒に地面に寝転びたい。転身したいなあ。ってもう無理かな。ははは。

 

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件の弱虫ペダルの推しです(本命は別)