日記 2020年9月22日 火曜日

アップするか非常に迷ったが、しばらく時間が経って向かい合う余裕ができたこと、インターネットから接続できるアーカイブはやはり便利だなということで。

良く日記読んでくれる皆さん、いつもありがとう。

一部の人たちへ。日記を読んでは私のことが心配だと声をかけてくれますが、今回ばかりはこの話を持ち出すのはやめてください。間に合っております。

 

日記 2020年9月22日(火)

 

急きょダーヤマさんとTNETを観に行くことになっていたので急いで家を出た。イヤリングと左手の指輪を忘れていたので「初期装備が…」と落胆しながら梅田へ向かった。

つるとんたんで明太子うどんと天丼を食べて満足。そのまま難波で1時間ほど時間を潰していよいよ鑑賞スタートだ!

 シルバーウィークだったことをすっかり忘れていたので激情は満席だった。新型肺炎の対策で両隣の席が空いているのは快適でいいなあと思った。詳しい内容に触れるような感想は控えるが、DV描写があまりにもキツくフラッシュバックを起こし身体がかなり強張ったこと、ニールで爆泣きしたこと、エンドロールでさらに泣いたことからやっぱり私は「何か」に圧倒されて屈服したいんだなと痛感した。

IMAXの設備すげえ~。でかい音が体の芯を揺すってくると、ライブとかクラブと同じ感覚だ!と身体の記憶が呼び起こされ、ケミカルブラザーズを想起してしまい、また泣いた。泣きたかったんだなと思うほどだった。やっぱり私今キツい状況にあるのかもしれないが、原因を特定できない。ただ、胸が熱くなりいい刺激を受けているのはなんとなくわかる。胸元で燻ぶっているその火をどこに向けようか。奉仕(創作活動)か?二次創作か?それとも自己分析か?

 

そのあと三宮に戻ってMUJIカフェおやつパーティーを開き(滞在時間約30分)、「まだ帰りたくないね」ということでジャズ喫茶でいろんな話をした。なんだか胸が張り裂けそうだったので、まだ纏まらないクエスチョンを形成してもらうのを手伝ってもらった。15日の日記に書いた、お金と孤独についてである。

 

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「わたしさ紅茶が好きで、麦茶みたいにがぶがぶ飲みたいからティーバックひとつで1リットル分くらい作るんよ。ショウゴは『良い紅茶は濃く飲んだ方がいいやん』っていうねん。この状況を変えるための選択肢でいえば、数日に一回、カップ2杯分の濃い紅茶をありがたがって飲む生活か、経済的な事情を解決して濃い紅茶を毎日当然のように大量に飲む生活か、やんか。でもどっちかに振り切ることってできへんねん。だから中間をとって毎日薄い紅茶を大量に飲んでるわけ。どちらも異なったメリットとデメリットがあるのはわかる。」

 

私は謙虚で清貧な貧乏生活に強いあこがれを抱いている。貧乏生活と言われると、それに付随する将来の不安や飢えとの戦いが連想しやすいがそうではなく、何らかの「目的」に対しての「結果」にあたる困窮に憧れているのだ。つまり、時間や自由を犠牲に何かを目指し、制約された生活を送り、その中で同志と小さな幸せを搔い摘むような日々を指す。具体例を出すとすれば、タコパしながらネトフリを観るといった貧乏大学院生ロールモデルや、売れない漫画家版トキワ荘など。

残念ながら、私の目的は時間や自由を犠牲にはしないので、よっぽどのことがない限り貧乏生活は実現されない。さらに孤独を引き連れているため同志(共同体と言った方が良いのか)を見つけられず、上記の「結果」としての貧乏生活は「体験」に限られることになる。貧乏人が毎日行っていることに情緒を感じ、そのまねごとをするに留まってしまう。

 だからといって消費活動の連続である豪奢な生活が身に馴染んでいるわけではない。孤独を感じ、それを紛らわすために大金を使うのは、幸せな生活とはいえない。第一、私は貧乏人でもなければ金持ちでもない。

 

かなり抽象的な話になるが、どうして孤独でも「大丈夫だ」と思いたいがために創作活動を行わなければならなかったのか?昔、日記に孤独に対する奉仕は創作活動であり、救済は芸術作品(昇華)と書いたが、それは健康的な精神状態の「欠陥」を補うために作られたシステムだったのだ。おそらく、私はベーシックインカム(親の愛情)を受け取る皿の底に穴が空いているので、平常時でさえ健康的な精神状態を保つための初期投資が創作活動や消費活動など、費用も労力も他人の比ではないことがわかる。そしてその平常時の基準さえあやふやな状態であるため、質を追求しすぎることによって、より欲求を叶えやすい方向へと向かい、結局孤独を選択するのだ。

何だこの悪循環は!孤独を満たすために孤独を選択するとは。

 

そうだ、冒頭の初期装備。

私は風呂に入っている間も寝ている間も肌身離さず着けているアクセサリーがある。右手薬指、第二関節にあるピンキーリングだ。高校生の頃願掛けとして小指に着けていた100円の物を、大学生1年生の春に8000円でリスタートしたもの。その他にも「これがあれば大丈夫だから」と理由のない不安と戦うための所持品がたくさんある。バターナイフ、ビーズのポーチ、水晶の原石、レモンクォーツのネックレス。

 理由のない不安とはいったいなんだ?もとより、先ほどから頻出している「大丈夫だ」の大丈夫とはなんだ?疑ったことがなかった。大丈夫だと言い聞かせていたが完全に盲信ではないか!

 

今日いろんな話をしながら心理学部2人で「ん?これってもしかして」「もしかしてサバちゃん愛着障害では」ってなってホギャーーとなった

午後10:20 · 2020年9月22日·Twitter for iPhone

 

愛着障害?自分が?でも、さまざまな動機と実践のプロセスに愛着障害を挟めば、今までの過食症自傷行為、性依存、散財欲求、質への異常なこだわり、孤独の解明、男性恐怖症、生き急いでいる(アグレッシブさの)理由、生への執着のすべてに説明がつく。とたんに手先が冷たくなり、冷や汗が出た。

帰路に着きながら「まさか」と何度か口に出したりした。10代、なぜ「死にたい」ではなく「死にたくない」と泣いていたのか。なぜ父親に「嫌われている、必要とされていない」という確信があったのか。なぜ中年としか寝ないのか。意中の相手とのセックスがタブーなのはなぜなのか。

 

そういえば、この日記(ブログ)を始めた時、私が死んだあと母にこれを読んでもらえたらと思っていたんだった…。

 

家に着いてから、しばらく考え、母に_酔っぱらってもいないのに、「笑ってほしいんやけどさ」と自分が愛着障害であると切り出した。母は笑わなかった。「愛着障害ってなに」というので、心理学的な定義より私の事例を話す方が説明としては妥当だなと思い上記の話をした。なんで母に話しているのかよくわからなかったが、自分が今不安定ではないことはわかっていたし、今ならうまく話せるかもしれないと思ったのだ。

 

「それは治らへんの」「治らへんよ。障害なんやから」

 

少し間を置き、「でも」と言った。親と話す時間とか設けた方がええかもしれへんな。

すると母は私を抱きしめて「毎日ムギューしたるわ」と言った。え~、話すだけでええんやけどと小言を言うつもりだったのに口が思うように動かなかった。母の身体は私より細く、抱き返すのが異常に難しかった。母の背を何度かポンポンと叩いたが、まだ抱擁は続き、ようやく自分の両腕を背中に回すことができた。私は動揺していた。力いっぱい抱きしめたかったのに、形だけのハグになってしまった、この動作が正しいのかどうかもわからなかった。涙を堪えるのに必死だった。

 

母「つまり愛着障害って親に頼れへんってこと?」

私「(厳密には違うな…『どうして』頼れないか、なんよな)え~と、信頼できないっていう方が正しいかな。」

 

「もう寝るわ」と母が寝室に消えていくのを見届けてから洗面台の前に立ち、鏡で自分の顔をまじまじと眺めた。涙、出ろと念じ、自分の泣き顔をしばらく見つめ、自分の身体ちゃんと動くやん、と一安心してからシャワーを浴びた。

 

髪を拭いている間、先程のやりとりを反芻していた。なんで抱きしめられた時泣くのを我慢したんやろか。泣いても良かったのに。今日の帰り、母が喜んだらええなと思ってリクローおじさんを買おうとしてたのに、なんでわざわざやめたんやろか。

そして、気が付いてしまった。母は私を愛していないのではない。私が愛されていることを認められないのだ。そして、母に愛されている実感よりも、私が母を愛し、さらに、母を愛していると認め、何らかの形でフィードバックを得ることの方が「愛される」より遥かに難しいと気が付いてしまった。

 

母を労わる事も、感謝を伝えることも、どうしてできないのか。母に愛情を注いでもらいながら、どうして自分は満たされないのか。母ではなく、外界とのつながりに固執する理由は何か。

 

(先ほどの会話の続き)

母「ホンマや。あんた、ホンマのこと絶対言わへんもん。」

 

愛情の裏返しは復讐か?以前私は母に「諦めている」と言い、母を傷つけたことがある。しかし、未だに_私が母に「良い母」を務めさせようと報復(気に入らないことがあればその原因を母に押し付け、私が大袈裟に悲しんだり怒ったりすること)を行う。母の愛情を諦めていながら、まだ愛情をもらえるか、試しているのではないか?アンビバレント型じゃねーのそれ。

つまり、私は、母に償えと言っていることになる。厚顔無恥極まりない。

なにを償えと要求しているかはまだわからない。思い当たる節はまだ他にもある。親しい友達と楽しい時間を過ごすとき、水を差す言動をしてしまうこと、ポジティブな場面を「大したことない」と斜に構えることなど。

 

ああ、やはりこれは障害なんだ、と言語を介さない直感に身体が震え、髪を拭くのを諦め、裸のまま膝を抱えてしばらく泣いた。愛着障害だと認めたくなかった。母のことを愛していると認めたかった。

 

しばらく泣いてSNSを見たり連絡を返したりしていると先ほどなぜあんなに胸が苦しかったのか、なぜ声を殺して泣いたのか思い出せなくなってきていた。

ああ、火が消えていく。火を消すな。燻ぶった火の種をどこかに移さなくてはいけないのに、その熱意をどこに注ぐか、私はどうすれば救われるのか、そして、なぜ火が消えることに焦燥感を覚えたのかを忘れていってしまっている。同じ過ちを繰り返したくない。ただその対策を練られるほど私のキャパシティは広くないのだ。受け止めるだけで精いっぱいだった。

今日はもう寝よう。思考が鈍り、もう一度点火する正当性さえ失ってしまった。