日記 2019年12月30日 月曜日

2019年12月30日 月曜日

 

さわのさんとランチ!ので、眠たいけれど10時くらいに家を出た。
11時45分に難波で待ち合わせて台湾料理を食べに行った。

 

とにかく話が通じる喜びを感じまくった。さわのさんはまだ数えるほどしか会ったことがないけれど、もっと会いたいなーと思う。
特別な存在だからこそ、たまに会うのがいいのかもしれないし、「大事な」存在だと確認しあう、みたいなことをしない方がいいのかもしれない。

 

あ、そうそう、なんでかさわのさんとは古臭くて昭和の下町っぽいお店や街に出かけたいという気持ちがある。
さわのさんはとてもセンスがあるし今っぽいし、かっこいいのでパンケーキ食べに行ったりした方が「ぽさ」はあるけれど、出てきた牛肉ときしめんの炒め物を見て「愛おしい」といっているさわのさんを見るとこの人と友達になれてうれしいなあと思う。

 

した話
・「良いこと」「悪いこと」はあっても「正解」はどこにもないので、誰かのために行動するよりも自分のエゴに還元した方が行動しやすい(これは坂本先生の言う「苦しんでいただきましょう」の話に通じるものがある)

→他人のために、と考えると答えがない(私は他人のために動きがち、さわのさんは自分に還元する真逆のタイプ)のは、当事者じゃない自分のできることに限界があるということ

 

シスターフッドや連帯という言葉には見えない何かが潜んでいるので丁寧に使っていきたいという印象をさわのさんはもっている

私はシスターフッドを発揮しまくっているが、確かに「あれはシスターフッドだった」みたいに過去を振り返るのには使うけれど、「これはシスターフッドです」と提示したことがない。使うことによって明確化がなされているからだ。言語化に潜む危険性をもう一度考慮したい。

 

・マイノリティが発言することについて、逆説的な特権性を発揮する場面において、あたかも「弱さ」を装いプッシュするのはまた違う

 

セックスワーカーについて、階層がある説
これはもう少しまとめてから

 

・「エロティシズムって破壊や倒錯であるよね、でも私のいうトラウマからくる異常な性癖の倒錯は防衛だよね」という話から「さわのさんにとってエロいことって何ですか…?」って聞いて、めちゃくちゃに盛り上がったのが良かった

ちなみに
「イチヂクの果肉」
「鼻の下の産毛に何かを這わす(匂いを嗅ぐ)」
「ピチピチのスキニーを履いて贅肉を感じて気持ち悪くなる」
がエロいという話になった たまたま去年イチヂクにかぶりついて謎の背徳感に襲われた時の写真があったのでそれを見つけてさらに盛り上がった

 

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家に帰って作った一枚

 

・サド、マゾについて、マゾヒズムの人間こそ「強い」という話
↑のエロティシズムにも通ずるものがあるんだけど、わたしはSMの趣味はないから、当事者たちに聞かなければならないが
例えば陵辱される側が女性なら
「本来自分の中では何よりも美しい女性が」
という前提条件がサドにもマゾにも備わってないと成り立たないと考えられる
(その過程の中で得る抵抗感、背徳感に興奮する)

サドがマゾを虐げることこそが奉仕につながっている
あとサドマゾの語源を教えてもらった。キリスト教が絡んでいることは知らなかった。

春先はバタイユを読まなくてはいけないと思った。

 

台湾式のフレンチトーストを食す。
カリカリでピーナッツクリーム挟まってて非常に美味

 

パリのH&Mで見つけたワンピースを、欲しいな〜と思いつつ機会が合わなくて買えずにいたんだけど
今日心斎橋でまさかの2999円→799円で売ってて、しかもさわのさんとお揃いで買えるという最高の思い出が爆誕してうれしかったです

 

ああ
さわのさんとめちゃくちゃセックスの話しして楽しかったなあ、
わたしの研究内容はフェミニズムではないから男性学かなあと何となく断定できた

 

男性とセックスの話あんまりできないから誰かとしたいんだけど
それよりも害があるから難しいんだよなあ。坂本先生の言うように会話ではいくらでも装えるからなあ。
嘘や攻撃、スティグマのリスクを回避しながらセックスの話をしようとするとやっぱりインターネットしかないのかな

 

あ、なおかつ「聞き取り」がしたいのでわたしの自己開示する癖がネックになるな……、やはり質問紙調査が有効やな。。。

 

Twitterより)

 

家に帰って年賀状を完成させようと頑張った。
オワリ