自粛と抱負の話

自粛の話

 

新型肺炎の感染拡大を受けて近畿でも緊急事態宣言が出るか出まいかといった1月11日、私は夜10時を過ぎるくらいまで酒を煽った。

酒を飲むと眠れなくなる。今日考えていたことを一気にツイートしたので、それをコピペした。↓

 

賛否両論というかまあ自粛せよと言われてハイ自粛しますってなるのはええけど飲食店とかホテルとか補償だけじゃ回らんし、九時以降になったらコロナ緩むとかない、遊んだから罹患したという訳ではないし、だからと言って遊んでる人が罹患したら医療従事者は良い気はせんよな。

結局自粛して家籠るんが「正しい」かもしれへんけど、綺麗事ばっかりじゃ無理、でもそれを正当化するために使うのはどうなんっていう堂々巡り

自分がどの立場にいて、どの選択を取るかっていうのを責任持ってやっていかんとあかんって事やろうな

で、最後に人命が懸かってる それは忘れんときたい

必需品の買い物に行くのと、食事に行くの、罪の重さって変わるんやろか、変わるんやろうな。じゃ生活続けるために店開けてる人は悪い人なんかな?サービスが違うだけで店開けてるんはどっちも一緒やのになあ。

医療従事者のため、患者のために自粛します、でもたまに食事はいいよねっていうのと、飲食業や観光業のために率先してお金使いますというの、罪の重さは違うんですか?

まあ国がちゃんとしてなければこんな話になってないんですけど…

 

わからん、ただ窮屈なだけ ただめっちゃ「なんとなく」で善悪の判断がつけられてるのはわかる

 

怒られそうなツイートしてるのはわかります でも誰もこのへん触れへんやん 一喝してすみませんでしたってなる内容じゃないからさ…

自分で天秤にかけるしかないんやろうな、遊んでいる間にも一生懸命働いている医療従事者や人命か、生活ギリギリの飲食業、観光業(自分の領域)か。

ウッ、あと働きに出てるのはアウト!?接客と食事を提供するのはどうなん?もーわからんね…

 

納得したいんだろうな私は、「要請」とかいう生半可なものじゃなくてロックダウンだったらきっと行動が狭められていたし、善悪の基準もわかりやすかったと思う。

医療従事者が頑張ってるんだから(辛い思いしているんだから)、あなたも同調しなさい。「文化」として認められている芸術は守っていく方向でその素晴らしさを再確認しなさい、みたいな。今更かよ、じゃ遊園地やテーマパークはどうですか。あの施設は今は悪ですか。娯楽を提供して生計を立てる人々は罰せられるのか?わからん。マジでわからん。

 

輪郭がなくてボンヤリしているし、私一人の視点でこういうの語って良いものなのか…因果応報?まあ、感染リスクの高いこの状況でどんちゃん騒ぎやってる(楽しくやってる)のが罪だとするのなら、いつかコロナ感染という罰が下るのだ。さらに罰に他人を巻き込む…医療従事者の負担を増やし、感染を広め、病床を圧迫し誰かが…。

 

医療従事者は患者を治すことが仕事だけど、それももう限界だと言っている。医療従事者や病床を増やすか、私たちが感染しないようにするしかない。でもその話だけでは終わらない。どっちかに振り切るとどっちかが悲鳴を上げる。そこに罪と罰の意識、同調圧力、通俗道徳、貧しさが絡んでくる。この中で私はどんなことが主張できるのだろうか。その勇気と覚悟を支え、確信に変える重要な構成要素はどこから得ればいいんだろう。

 

たまたまその時ショウゴからラインが来て、「許されたいよね~」といった内容だったので、それが案外しっくりきた。どの意見持ってもどっかで対立し誰かを傷つける。私はそれが怖い。

 

そしてヤマダさんとIKEAに行って話を聞いてもらった。すると「そこで罪と罰が出てくるんだ!」と言われてマジで~!?となった。やっぱり「楽しいことをする」罪が「コロナ罹患」という罰につながってるんじゃないだろうか。飲食/観光業と医療/ケア役割の2つの領域があって、その中で自分自身がどこにいるのかを自覚して生きていけたらいいな。

 

いいか、桃花!人生は長い。一貫した態度を取り続けるのは無理だ!そもそも19歳の時に私の人生のテーマは変容だと決めたはずだから態度や思想はいくらでも変えていい。私には咎められる覚悟をもってほしい。

そして、誠実でありたいと思う欲求の裏には、私の言葉に説得性を持たせたいという欲望が渦巻いていることを自覚してください。しかし、それは表裏一体ではなく、別軸なのかもしれない。罪と罰の意識が、人を一貫性のある人間に育てているんだと思う。そうじゃなきゃ破綻する…でも、「罪のない者だけが石を投げなさい」という言葉の「罪」とは何?罪以外にも人を縛る要素はいくらでもある。自分を棚に上げているかもしれない。でも、「自分を棚に上げる」とはどういうことか?エロティシズムの手法を使って考えてほしい。

 

お願いです囚われてくれるな!半年かけて、ようやく思考回路に血が巡り始めたのに…。今、この言葉の意味を明日には忘れているかもしれない。周りの人がこれを読んでもなんのこっちゃ解せないのかもしれない。だけど、この火だけは消さないで欲しい。3歩進んで2歩下がる毎日で構わないので、私の最後の人格形成をどうか悔いのない様に取り組んでほしい。

 

フェミニズムに置き換えるとすれば、「私は私だ」や、「性の自己決定権は女性にある」は主張に近くて、「コンビニにエロ本を置くのをやめろ」や「性的同意年齢を引き上げろ」は意見に近い気がする。どっちも主張だけど、声を届けたい相手や団体が明確かどうか、目的が私自身にあるか第三者にあるか、みたいな。ニュアンス程度にしかつかめてないけど、この半年間私はここを混同して意思を持つのが怖いなあと思っていたのだ。相手を巻き添え(もっと適切な言い方ないのか)にして意見を言うのは、相手の存在(外界とのつながり)…うあああ難しい、難しすぎる言語化が…時空(!?)を曲げる…?変革をもたらす?目的があって、主張は私の存在を確立させる…というか…しかしそれが叶わない、人権が侵害されて迫害されている場合、革命して世界を変える必要があって…要するに用途が違うのだ。多分、父語と母語とかの翻訳の話になってくると思う…。ああああ

 

私は去年の冬に差し掛かったあたりから日記を書いていない。去年は裸で日記を書くには寒すぎるからという理由があったけど、今回は別の理由があった。

 

さっきも書いたけど自分の意見を持つのが怖くなった。というのも、悪意を悪意と自覚しながら行使する人間はほとんどいないとわかったからだ。先程の差別然り、人は片手間に他人を傷つけている。本人にその自覚はなくても、受け手には色濃く反映されていくのだ。つまり私が口を開けば誰かが傷つくのかもしれないという恐怖を感じていた。

 

余談だが、私は人に騙されて3回詐欺に引っかかっている。そのうち2回は道端での声掛け、あとの一回は知人からの紹介だ。

これに懲りて知らない人に声をかけられても全部無視しようかなあと思ったけれど、本当に私の助けが必要だったりする人に対して、その手を簡単に振り払う可能性は_?

その騙された3回は、全部思ってもいない「あなたの為を思って」に釣られてのことだった。相手の愛着行動(演技)に応えたいという思いが相手の信頼度への補正をかけ、性懲りも無く私をYESへと導いてしまっているのだ。

 

ここから言いたいことは2つある。

口先だけの「あなたの為を思って」に踊らされた私は、詐欺師達のことを責める事ができるのか?それはできない。私は金銭の受け渡しはないにしても、返報性欲しさに同じ事を日々繰り返していた。

なので、「お前もじゃないか!」と言われたら全てお終いなのだ。それに立場の違う人同士、ディスカッションほど空しいものはない。共存するための妥協案_一つの到達点を編み出すには最適かもしれないが………(言葉を選ぶのに時間がかかっている)、尊重し合うために、私は自分の主張を持たない方がいいんじゃないか__というか、私の(相手の存在を視野に入れた)主張は本当に相手のためになるのか?という疑問と、そのカードを出す勇気、覚悟、そして責任は私にはないという諦めがあった。

 

だけども!!そのせいで「なにも始まっていないからいつまでも終わることがない」最悪の状況を生み出してしまった。半年間も。それじゃだめだ。動いていいから傷つけてもいいわけじゃないので、私はたくさん考えた。

それによって、今年の抱負は「意見と主張を使い分ける」これになった。

 

メモ

 

自惚れ とかじゃなくて、だからこそ案外人に見られているというか 注目されているんだなって

/

許さないと新年になって初めて言った 冷たい怒りだった

怒りの行使とその責任を持つんだ

今年も 私は

 

11:54

 

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全然関係ないけど最近弱虫ペダルにハマりました。推しは葦木場くんと雉弓射です。

 

年の瀬

年の瀬

 

下半期については常にリセットボタンを探していた気がする。リセットするとなれば今の生活を全て捨てる必要があった。ほとんど単位を落とした講義も、散らかった部屋も、私の身体も、日記さえも。

行先変更というよりかはゼロ地点から再出発という感覚が近い気がする。リセットできる機会がなければ延々と続いていくであろうこの生活が恐ろしくして仕方ない。

 

さて、年の瀬である。ざっとこの一年を振り返ってみよう。

電気グルーヴを聴くようになって下ネタが好きになったこと、変態についてめちゃくちゃ強い憧れを抱くようになったこと(電気グルーヴの話をいつか書けたらいいな)

自分の意見を持つのが急に怖くなったこと

(いよいよ)鬱を患ったこと、愛着障害だとわかったこと。性病にかかって二度とセックスができない身体になったこと。バレエに出会ったこと。デカかったのは、性癖が明らかになった事。

出来事で言えば様々なライブ公演が中止になった。西成へ行き、東京へ行き、岡山へ行き、という感じである。

 

重たい水の中にいるみたいで、鮮明に伝わるはずの音や色、衝撃でさえ勢いを無くしていく。身動きが取りづらい。過去の日記を読み返して、苦しみながら色々書いているときの方が良い内容な事に気づいて、やはりプラマイどちらであっても原動力つーのがあるのは良いよなとちょっとだけ思った。そしてこの考えはすぐに訂正した。マイナスな原動力があってたまるかよ。不本意すぎるわ。

 

色々と制限はされてしまったが何もない一年というわけではなかった。むしろ私自身を見つめ直す時間が増えすぎたあまりに、私を構成する基盤が大きく揺れて形を崩してしまったりしたのだ。人に対して誠実でありたいという強い願望があり、自分の発言を具体的にどのような形で責任を持つのか…といった模索から、誠実であるためには全力の愛着行動は不可欠なのではないか?という葛藤、アイデンティティを失う恐れ、救済を求めて何度か道を踏み外したりなど…めちゃくちゃになって収まりがつかない。でもそれでもいいかもしれない。私を再構築するときに、要素の取捨選択が容易になる気がして_それだけでなく、改めて大きな力を「信じたい」と思うことができるかもしれない。

 

なあ、明日になったら何が変わるんかな。リセットボタン、全然実感ないよ。私はこれからも何かに追われて、或いは置いていかないでと叫んで、冷たい怒りに支配されたり、己の倫理が何度もぐらついて、どこかに助けを求めるんだろうな。しんどいよなあ。でももう残りが少ない。生き急ぐくらいで丁度いいんじゃないかな。ずっと満たされてたら溺れて苦しい事も知っているから逆境に挫けずに努力できるはずだ。

 

とにかく、今は眠い。日記で2020年を締める代償に年賀状を年内に完成させることができなかった。あしたは東宮家族が家に来るらしいし、朝から夕方まで労働だし、全然普通に日常が続いていくから、せめて自分でスタートラインを設けられたらいいな。

 

来年の抱負は歯磨きしながら考える!おやすみ!よいお年をお迎えください!

日記 2020年12月27日 日曜日

日記 2020年12月27日 日曜日

 

最近眠れない夜が続いている。布団に入った瞬間は睡魔の波が来るというのに、それを逃すと途端に意識がしっかりとした暗闇に包まれ、行き場のない不安で心がめちゃくちゃになる。夜は嫌いだ。もっと、冬が嫌いだ。活動の可能性が狭まってしまうのは夜だったらまだ許せるが(眠いし)、日中さえも難しくさせるのが冬なのだ。寒いから良いやという妥協の選択肢を増やしてくる。寒さが孤独と、貧しさと、飢えと直結する。緑がなくいつも寂しい情景ばかりだ。誤魔化そうとして欲が出る__ぶっちゃけクリスマスも年越しも正月もバレンタインデーも、そういった「なんもなさ」を紛らわすためのイベントだと思う。

 

3時を過ぎて眠るのを諦めた。Instagramを開くと光尊が新しいEPをリリースしていた。光尊とは高校からの仲になるが、私が大学に進学してからあまり馬が合わなくなった。闇鍋をしようという話になったけどいざ予定を立てるとなったとき、冬季鬱が重なり私の方から既読無視をしてそこから連絡を取っていない。絶縁宣言をする程の仲違いとかではないけど、自然消滅に近いなんらかの気まずさがあり、もう一年以上連絡をとっていない。

Apple Musicで音源を聴いた。ヒップホップのことはあまり詳しくないから大したコメントはできないけど、情熱的ではない、普遍的な愛さえ与えられなかった光尊の痛々しいほど切実なメッセージを受け取ったような気がして、私ではない誰かに、抱きしめてもらえたら良いのになあと思った。以前の日記に書いた記憶があるが、光尊は本当に不幸に愛されている男だと思う。その居た堪れなさについ私に何か出来ることはないかと考えるが、今の私にはその覚悟と責任と__再び連絡を取るほどのエネルギーは残っていなかった。

 

絶縁状態から復縁するのは相手の人生背負うのと同じなので、その覚悟と責任は私にはないからここで祈っておきます

Twitterより)

 

結局朝起きていつも通り出勤しようとしたら駅でめちゃくちゃ吐いてしまい遅刻確定してしまったのでとりあえず連絡をした。そんで出勤してから「帰ってって連絡返したよ」と言われ変な空気になり謝り倒して速攻退勤した。朝の8時だった。

 

とりあえず眠れていないのではよ寝たい__今日は門田の誕生日で、明日に会う約束をしているからその時に渡す絵も、年賀状も、学校の課題も片付けたい。しかし家に帰っても家族が揃っているはずなので、私がまたストレスに押し潰されるという予想しかできなかった。

どうせ家帰ってやる事は同じなのだから外で済ませたってズル休みにはならんやろ(ズル休みとは?)と思いモーニングをやっている店を探した。行きたいところは3軒ほどあり、しばらく歩いてそのどれもが閉まっているのを確認した。まあ年末やしな。てか全然お腹空いてないしなあ。あと残っているやる事といえば入浴である。メイクをしてから1時間ちょっとしか経っていないけど落とさなければ眠れまい。てか昨日は頭を洗えなかったので銭湯に行こう。家にある風呂の釜より下にある少量すぎるお湯を温めるとなるとかなりめんどくさい。親から小言が飛んでくるのもなんとなく想像できる。

3駅先にあるお気に入りの銭湯は朝の10時に閉まる。その銭湯はお気に入りの商店街を抜けた先にあり、私がいろんな人を連れて行った唯一の銭湯なのだ。

コンビニでメイクを落としなどを購入してから向かった。肝心のシャンプー、リンス、ボディソープ、タオルは向こうで買った。入浴料込みで1,000円くらい。やっぱり石鹸類は高いぜ……(泣)

受付の女性に「10時までやけど良い?」と聞かれて元気よく「はい!」と返事した。猶予は40分だった。普段は20分あればミッションクリアできるので余裕なのではないかと思った。とりあえず服を脱いで久しぶりに体重計に乗った。53キロだった。太ったな。筋トレがしたい。身体、使わなさ過ぎて、言葉の通りバキバキと軋むのだ。

 

朝のお風呂の気持ち良いところは自然の光だけで浴室が照らされているところにある。私は電気照明が嫌いなので、できるだけ電気をつけずに生活したいと思っている。夕方に風呂に入るのも好きだなー。

 

閑話休題 銭湯のシャワーについて、一回プッシュしたら一定時間出るタイプのがほとんどだと思うんですけど、よく通う銭湯は普通にカウントして3秒でお湯が止まる。足を使って風呂に入れたらどれだけ楽なんだろうと思いながらチマチマボタンを押しては全力で髪を洗い、身体を洗うなどをした。シャワーが固定されてるタイプのやつも好きですめちゃくちゃ洗いにくいけどな!隣の男湯で全力で歌うジジイ(敬称)に合わせて何かを歌おうとしたけど、何も出てこなくて、今の私のアンセムってないんだなという驚きを感じながらその場で作曲して鼻歌を歌った。

 

結局ものすごいタイムロスをかまして10分だけの入浴となってしまった。閉店間近なだけあって人が少ないので露天風呂へ直行した。今日のお湯は赤かった。緩めのお湯に浸かりながら、さまざまなことを考えた。まず、さわのさんのこと、そして、私の身体のこと

銭湯から飛び出してとりあえず商店街で買い物をしようと思った。あとずっと行きたかったクレープ屋さんにも行きたい。ついでにどこかで日記を書きたいが、お気に入りだったデニーズは閉店してしまったし、折角風呂に入ったのにタバコ臭いサ店に入ってにおいが移るのはは勘弁して欲しいなあと思った。

商店街はどこも正月ムードで、お節の中身だったり仏花だったり、まあ結局いつも通りだけど__忙しない感じが年末なんだなあという実感を強くさせる。

とりあえず御目当てのクレープ屋(軽食屋)さんでチョコアーモンドのクレープを頼んだ。270円。白身魚のホットドッグや今川焼きは120円だったり70円だったりなのでクレープだけ地味に高くてウケる。でも買う。ぶっちゃけ甘いものを食べたい気分ではなかったけど、以前訪れた時に、次はここのクレープを食べるぞ!と決意していたのでその意見を尊重した。

 

クレープを食べながらきったねえ人工の川みたいなのを眺めながら今日記を書いている。実際かれこれ30分は書いている。風呂上がりなだけあってまだ寒くはないし、眠気と、妙に満たされた腹のおかげでだいぶ機嫌がいい。

そういえば母は言っていた。冬はよく晴れるんやでって。まー確かに今日は快晴ですわ。この街は晴れが似合う。どうせ山登って私の家に着くと全てが雲に覆われてどんよりした雰囲気に心を蝕まれていくんやわ。この年末年始のめでたい感じも、人の活気も、あの山には何もない。あー。帰りたくない。でもやらなきゃいけないことがある。今ある私の衝動っていうのは逃避から来ているのは明白である。

 

こうして、また祈るのだ。寒くてもいいです。ただ、私の住む街もよく晴れて、ついでに私自身がもう少し暖かく過ごせます様に。寒さを理由に何かを諦める機会が減ります様に。

 

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バナナとピーナツのトースト

 

エス

その日の晩なぜか光尊から連絡が来た。マジで何?

日記 2020年10月15日 木曜日

日記 2020年10月15日 木曜日

 

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 誕生日だ!0時を回った瞬間は布団の中でツイッターを見ていて、フォロワーの友人の皆さまからリプライがすぐに届いてとても嬉しかった。高校1年生、iPhoneを持ち始めてから今までこの習慣は続いている。仲いい友人は大体、0時になった瞬間に律義にラインや着信をよこしてくれるのだ。そのため、ラインを確認するのが若干億劫だったが(期待しちゃうしね)、杞憂に終わっていた。去年よりも、というよりも今までで一番メッセージが届いていた。絵を送ってくれたり、長文でおめでとうと祝ってくれたり、疎遠だった人から近況報告が来たり。うれしくて胸が熱くなった。本当にありがとう。

 自分自身にまつわることは大っぴらに公開するのに抵抗はない。その分、人からの贈り物だとか言葉だとかは秘密にしておきたい性分だが、印象的だったメッセージがあるのでそれだけ載せようと思う。三浦からの「私」のこと。

  

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私を構成する要素が、他人から見ればこんな感じなのか、と確認できる貴重な文章だと思う。なにより、私なりに誠実に三浦と接してきて良かったというか_言葉にしづらい安堵感があった。一応心理学部の端くれなのでこういう時ジョハリの窓とかを思い出すが、それにしても「私の呈示したい私」と「私の構成要素」、「三浦(受け取り手)の私への印象」が交わって精製された純度の高い「私」像は、切り口が新鮮で、なのにノスタルジックな感じがした。認知の軸が複数ある感じがして歯痒い。とりあえずこの気持ちを忘れたくないと思った。

補足すると、「三浦(受け取り手)の私への印象」というのは、三浦という存在の前提があって、彼女の心境(私も、彼女も推測できないもの)から生じる私への気持ちを指す。心境の土壌が常に変化し続けても、そこから三浦の意思で、「私」への信頼の手綱を取っているのが、これね、本当に貴重なことなんだ。けっこう誇らしく思っています。意味不明でもモーマンタイやで、私の日記やからええねん。

 

さて、せっかくの誕生日なのでめでたい話だけを書いていたいが、そういうわけにはいかないらしい。持病が悪化している。素人目線から見てもいい状態にあるとは思えない。身体が抵抗するために大きく変化させているのか、それとも侵食されているのかわからないのでとにかく不安である。なかなか眠れず、最後に確認した時間は5時過ぎだった。苦痛に悶絶した後の回らない頭で、明るいな、とだけ思った。

 

 起きたのは8時ごろだった。今日は母と買い物に行く。最初は三宮に繰り出して贅沢なランチを食べようと提案してくれていたのだが、最近の私は自分でも恐ろしいほどに欲がなかった。なんというか、母と一緒にのんびりと過ごしたいと思ったので、アウトレットに行きましょうと言った。とりあえず寒さに耐えてシャワーを浴び、父にお誕生日おめでとうと声をかけてもらい、妹の作ったクッキーをつまみ食いしたりした。母が、「このクッキー、花菜がお風呂入ってる間に10分追加して焼いたら焦がしてもてん」と白状してきて面白かった。

 

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ちょっかい出される

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アウトです

 

 服を着た。気に入ってる下着(よそ行き用)を着た。普段は有事がなければ上下違う下着の方が多いくらいずぼらだけど、今日は誕生日だから良いよね~ということにした。服は皺のついたシャツを選んだ。大体出かける前にアイロンをかけているが今日は誕生日だからこのままでいっかという自己中心的なチョイスが我ながらちぐはぐで面白かった。

 髪を巻く。ヘアオイルを思うとるより倍着けてから巻くと綺麗に仕上がることがわかり驚愕だった。スタイリング剤をつけていないのにしっかりキープされていて驚いた。

 トイレで経血を確認し、神よ!と心の中で合掌してから、嬉しさが収まりきらず「おかーーーさん生理来たーー!!」と叫んだ。あとで気が付いたが、なぜかトイレの窓は全開だった。なにはともあれ、東京では生理の心配をしなくていいのだ!心配事が一つ減った!最高の誕生日だ!

 

 車に乗り込み、母は「とりあえず足湯に行こう」と言ったのでなんだか誕生日っぽいぞと思った。移動中いろんな話をした。道端、木に橙色の果物がたくさん生っていて、琵琶か柿かわからんなという話をした。私はほとんど寝ていなかったのでハイになってよく舌が回り、いつもよりご機嫌だった。しばらくしてから、照明の死んだ異常な雰囲気輸入食品系酒屋に寄り道した。死んだ色の冷凍肉が売っていて、やはり私は肉が好きだと思いながら、僅かな赤色が目立つように写真を撮った。

 

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本命の足湯は今日に限ってメンテナンス中で使えなかった。肌寒かったので二人でええ~と落胆していると、すぐそばに気になっていた焼肉屋さんがあって、無駄足にならないようにここで昼食を摂ろうという話になった。たまたま開店5分前だったので店の前に立っていると、私たちの後ろにたくさんの人が並んでいった。運良く2番目に案内された私たちは個室に通された。霜降り肉のランチを頼んで、綺麗な白が散った肉を有難がって食べた。母は私に肉をよく焼けと言うが、私はレアが好きだし、せっかくのいい肉なんだからと表面を軽く炙るだけにしていた。今思うとほぼ生だった。そして、高い肉というのは庶民の舌どころか身体に合わない。終盤にはかなり気持ち悪くなりぜいぜい言いながら店を後にした。良い体験だった。

 

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アウトレットで服を見て回るなどした。私は生理痛+持病+先ほどの肉で凄まじい腹痛に襲われ歩き方が変になっていた。私はハンカチとマスカラを、母は上等なセーターを買った。あとアイシングクッキーのためのチョコペンとアラザンも買った。

帰りにスーパーへ寄るとなんだか外装が黒くなっていて「調子乗っとる」「KOHYOのパクリみたい」と辛口コメントを寄せたりした。するとリニューアルオープン(?)だったらしく、びっくりするほど安い値段でいろんな食品が売られていた。それを知った母は大はしゃぎだった。その頃私は徹夜のシワ寄せが来ていて本格的に体調を崩していたが、母が喜んでいるのでもうしばらく耐えることにした。「こんなに安いんは私の誕生野日やからな皆感謝せえよ」と言うと、「そうじゃなくて皆桃のことを祝ってくれてるんやろ」と母が言って、そういう視点が自分に無かったことに恥ずかしく感じた。たくさん買ってくたびれたが生き生きとした母を見るのは楽しかった。

 

帰りの道で、道端に大量に生っている果物は琵琶だったことがわかった。あんなに沢山あるのに車道側にあって誰も採ることができない。切ないねえ。

琵琶や柿だけじゃない。イチョウが色づいている。風は冷たいのによく晴れている、空が高い。もう秋だ。21歳か、というより、21年前のこのような時期に生まれたのか…と小学生並の感想を抱いた。

 

誕生日ケーキのリクエストのケーキ屋さんへ連れて行ってもらい、好きなケーキを全部買ってもらった(食べるのは私一人ではないが)。バースデープレート付けて!とせがんで、「ももかちゃんおたんじょうびおめでとう」と書いたお約束のやつも手に入れた。その帰り道、母に「幸せやなあ、ありがとう」と言うと、よかった~と優しい声が聞こえた。ありがとう、と躊躇いなく言える自分に成長を感じる。矯正していけるぞ!

 

 家に帰って妹とクッキーにデコレーションをした。楽しかった。妹と仲が良くてよかったと思う。昼に摂った肉の油で終始吐きそうだったが、かぼちゃのパイを用意し、「ハッピバースデートゥーユー」と歌い始めると父が手拍子をしてくれて、母と妹が一緒に祝ってくれた。ケーキを食べると、形式上誕生日を祝うのは終わりになって、日常へ戻っていく感じがする。弟は気を利かせてくれたのか不在だった。ありがて~と思った矢先、リビングで転寝をしていると「とにかく金が要る」と金の無心をする弟の声で目ざめ、改めてマジでコイツだけは私の人生に関わらんといて欲しいなと思った。

 

仕切り直して、今日は嬉しいことが書ききれないほど沢山あった。やらなければならないタスクとか私の身体状態や精神状態は置いといて、甘やかすとかではなく、私が私でいることを誇りに思っていい日というか、私自身を慈しむことを許される日があるのはすごいな。これが私だけではなく、全員に備わっている事、相手を祝福することになんのハードルもないのも有難いよな。

嬉しいことがあると、それを齎してくれた人たちに恩返しがしたいし、その人たちを大切にしようと思えるし、好きな人たちに同じ思いをして欲しい。こうやって少しずつ自分のコミュニティを形成していって、それが実る形で誕生日を祝福されているので、私はこれで大丈夫だと思える機会になったのがとても良かった。

 

今日は良く晴れてるからと、母が干してくれた布団で寝る。布団は干すといい匂いするよなあ。一人暮らししたら違う匂いになるんかな。

今日、誕生日、いつまで祝おうかみたいな話題が出た。私が日記で誕生日の意味を求めたのは、もう『誕生日』は有限なものであると、そういう気付きががどっかにあったのかもしれない。

日記 2020年10月14日 水曜日

日記 2020年10月14日 水曜日

 

 昨日から厚焼きのホットケーキを食べたいと思っていたので、朝(といっても13時ごろ)起きてすぐに取り掛かることにした。ホットケーキミックス粉がなかったので、薄力粉とメレンゲ、ベーキングパウダーで代用した。メレンゲから出る気泡がなかなか収まらず、思い描くような_純喫茶で出てくる鉄板で焼いてある_表面が滑らかなホットケーキができなかったが、回数を重ねるごとに綺麗なものができた。私はクランペットを焼くのが得意だけど、ホットケーキはあまり上手ではないのだ。生クリームを立てながら焼いたので時たま焦げたりしていた。

 

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 味はというと、ホットケーキミックス粉で作るよりも生地がしっかりとしていた。蜂蜜をけっこう多くかけたがすぐにしみ込んで不均等な感じになってしまった…。でもおいしかった。作っている間も食べている間も、遠隔授業を受けていたがあまり聞いていなかった。食べながら見ているうちに、今回の課題は結構きつい事がわかり逃げ出したくなるなど。

 

 猫の機嫌が頗る良かった。たいへんよく鳴き、喉を鳴らし、足にすり寄り甘えてくれた。昨日の猫の、今まで聞いたことのない痛々しい悲鳴を思うと余計に嬉しかった。そのまま日光浴をしたり、撫でたりしてすぐに夕方になった。宅急便が来て、慌てて荷物を受け取ったが来ていたトレーナーが前後ろ反対で思いっきりタグが見えていて恥ずか死んだりした。

 

 夜、妹が「もんちゃん(私の愛称)の誕生日プレゼントにクッキー作ろうと思うねん」と言った。アイシングで『お誕生日おめでとう』って書いてや~と返すと、「ほな買ってきて」ということでスッピンで外に繰り出した。

 今日は私が20歳として過ごす最後の一日だった。そういえば私は高校生の頃から「x歳の締め」を10月14日に行っていた。具体的には植物館や美術館へ赴いたり、小旅行をして「良いx歳だった~」と思えば御の字だ。今年はどうしようかなと考えてはいたが、遠隔授業があることや、単に「気合が入らない」という理由で今年は普通に過ごすことになったのだ。

 肌寒い秋の道を歩きながら、ならば家で二十歳を締めようではないか。と思った。何がふさわしいのか?この間買った入浴剤を使う?しばらく考え、爪を切り、部屋を片付けようと決意した。スーパーを2軒回ったが、白色のチョコペンがなかったのであきらめて明日買うことにした。

 

 家に帰るとクッキーの焼けた匂いがした。外の温度から家の温度への移ろいというか、ドアを開けた瞬間にブワッと暖かさとバターの溶ける匂いがして、幸せを体現したみたいだとおもった。それが私のためのクッキーだとなおさらだ。

 クッキーはちょっと焦げてるのと綺麗に焼けてるのがあって、私に贈ってくれる用のはデカい長方形のクッキーぽかった。その辺にあるクッキー4~5個分はある。お風呂から上がってきた妹と味見をした。「これココア?」と聞くと「焦げとんねん」と笑った。

 

 風呂に入ったり寝る準備をした後、早速爪を切った。足だけ切った。たぶん1ヶ月は切っていなかったので、歩くとき痛かったりしたのだけどこれで解放される。21歳になったらペディキュアくらいは塗れるようになったらいいなと思った。思えば20歳のほとんどは家で過ごしたかもしれない。ここ一年間の生活は本当につまらなく、(ありがたいことに)平凡だったけど、世界で見ると激動の1年だったのがすごいなあと思った。私はたくさんの人を巻き込む形での犯罪に遭ったことがないし、大きな地震も体験したことがない。デカい台風もたまたま親に内緒で東京に行ったりしてたし、死ぬつもりで行ったパリだって無傷で帰ってこれたのだ。今回の新型肺炎でもそうだ。出かけるなと親や国に言われているのに学校へ行くと嘘をつきいろんな場所へ行った。だけど身近な人は誰もなくしていないし、罹患していない。20歳になった時、「慎ましく生きますよう」と誓ったが、けっこういい線いってるなあと思った。

 そして部屋を片付けた。服をまたたくさん捨てた。気に入ってたけど来年はどうかわからんし、安物やしなア。大阪で買ったルーヴル美術館展Tシャツ、1月の寒空の下しろさんとめっちゃ走ってオフスプリングの会場まで行って、そのあと揉みくちゃにされた(本当に激しいライブだった)。とても思い出がある。LOUBLEとバーコード状にプリントされていて、正面から見ると「LOVE」だけどある角度からは「LOUBLE」と読めるのだけど、普段使いとして着てみてわかったがかなり目がちかちかするのだ。なのでおさらばだ。

 この話を書いててちょっと思い出した。オフスプリングのライブは激しかったし、年齢層も30代くらいで男の人たちばかりだった。ライブが始まった瞬間にブラのホックが外れたのだ。今まで普通に過ごしてきてホックが外れたことがなかったので、あまりの激しさにブラ自体が壊れた(?)のかなと思い気にしなかった。というかあまりの激しさに命の危険を感じてすぐに気にならなくなったと言った方が正しいか。しばらくして、性被害のうちの一つにライブやフェスでブラのホックを外されるというのがあって、一気のあの時を思い出して全身が凍ったような感覚になったのを覚えている。なんて下劣な行為なんだろう。思い出した今相当気持ち悪いし、他人(おそらく男性)のそういった意図が私に向けられているということ自体受け入れられないほどの嫌悪感があった。直接向けられることは場数を踏んでいるので慣れている(対峙だしね)けど、相手がわからないというのはホントに嫌だなと思った。収集付かなくなるのでこの話はこの辺で終わりにする。

 

 閑話休題

 二十歳で印象的だったこと_というか、年を取ったなと思ったことは、あらゆる場面で一度立ち止まって考えたり考えるもの自体を疑ったりする癖がつくようになったこと、手段を選ぶこと、私を「私」だと証明するための材料が少しずつ揃ってきたことかな。

なんとなく、人生を料理やら錬金だと考えて、10~18歳までの間は情報収集(追憶のため)、19~22歳までの間は材料を揃えて混ぜ合わせる感じで手段を見つけて、23歳からはその作品を完成させるためにスタートするみたいなイメージがある。錬金にしても料理にしても、なんかこう煮込んでいる間に余計な水分や成分を飛ばして純度の高いものに変えていくみたいな_そんな感じがする。原石の研磨とかよりも、私は煮詰めていきたいな~と思った。知らんけど。要するに、ここからやなということです。

 

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私が一番好きな花のセラスチュームです!締め!

 

 18歳はフェミニズムに出会い、19歳はエロティシズムに出会い、二十歳は孤独と向き合い、21歳は何に出会うだろう?たのしみだ。そして私よ、お疲れさん!

日記 2020年10月9日 金曜日

日記 2020年10月9日 金曜日

 

 台風のせいで近所の金木犀の花が一気に散ってしまい、かなりショックを受けた。雨が上がると、3~4軒はなれた私の家の駐車場の隅っこにあの綺麗な花弁が溜まっていてちょっと嬉しかった。

 

 ヒプノシスマイクのガチャガチャで推しの白膠木簓を引きたい。そのためにはガチャガチャを探すところから始まる。アニメイトなどの店頭で売っているものは消費税がついて440円。一方ガチャガチャでは400円だ。三宮から難波までガチャガチャを見つけるたびにそのラインナップをチェックしていたがヒプノシスマイクのそれは全くと言っていいほど見つからない。よく調べてみると今年の7月から市場に出回り始めたらしい。覇権ジャンルということもありすぐにガチャガチャは無くなったと思われる。

 ということで、私の家の近所にある「田舎」を凝縮したようなスーパーマーケットでのみそのガチャガチャが現存している。このような田舎では人気がないのだろう。本当は人目を気にせず永遠にガチャガチャを回したいが、そのガチャガチャは家電量販店の入り口からすこし離れた場所にあり、具体的に言うとスーパーマーケットの入り口付近でありながら店の内側にあり、家電量販店の行うイベントや勧誘のためのスペースに設置されている。つまり、人が大量に行き来し、さらに店の人間が私を通行人ではなく「ガチャガチャを引いている人」と認知できてしまうのだ。ガチャガチャはいつだれが引いているのかわからない。そもそも白膠木簓がまだ残っているかどうかもわからないので、出るまで引きたいのだ。

 

ということで、赤信号は皆で渡れば怖くないという法則に従い、仕事終わりの三浦と落ち合うことにした。仮面ライダー一番くじで3万をつぎ込んだ三浦なら私の欲望をわかってくれる。私の喜びに寄り添ってくれる。

 

仕事終わりの三浦はくたびれた顔をしている。お疲れのところ申し訳ないが早速例のスーパーマーケットへ向かった。するとどうだ!スーパーマーケットの営業時間は22時までであるが、家電量販店の営業時間は19時までだったため、ガチャガチャは店の中にしっかりとしまわれていたのだ!ガチャガチャは自動販売機とは違う扱いだったのか。このままでは帰れねえと言い、夕飯を摂ることにした。お好み焼き屋さんや焼き鳥はどうかと言ったがどうせなら晴れとる日がええなあと言ってスシローに行くことになった。

 

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スシローに着いてから、なぜよりによってヒプノシスマイクにハマってしまったのだろうかという話をした。きっかけは好きなラッパーが楽曲提供をしたことと、オオサカディビジョンが現れたこと_そして、ゴリゴリの「性の消費」を体験してしまったこと、なんとなくSNSにアップしたヒプノシスマイクの絵がおバズり申し上げてしまったことなど、様々である。

 

メモ

マジで正真正銘オタク向けコンテンツってすげえや 人生がこんなに楽しくなるとは

今までのジャンルって「私」が人生の主役で、周りを彩ってくれるものだったからオタク目線での消費って不完全燃焼みたいなところがあって、正真正銘オタク向けコンテンツはもうお前が世界一 私は金を払ってひれ伏すしかないんだよな

午後0:34 · 2020年10月8日

 

ヒプノシスマイクにハマったのでほぼほぼ人生初のソシャゲにも手を出した。ガチャが一回回すのに3500円くらいするのにドン引きした。しかも欲しいカード?は約束されていない。博打じゃねーか!無課金勢としてお金の代わりに時間を費やしてジェムを貯めているが、あっけなく結果発表(?)されていくガチャにかなりの恐怖を感じたりした。SNSをチェックしてみると私がケチっていた3500円なんて消しカスみたいに感じるほどの重課金をしている人たちがたくさんいてウワ~と思った。

「だってさ3500円あったら良いリップとか服買えるやん」と言いながら300円皿の穴子を頼んだ。「そのうち服我慢したらガチャ回せるやんって思うようになったら終りやからな」と三浦は言った。スシローのテーブル席はなんだか小さな個室みたいで好きだ。

ついでにオタク社会の話をした。ヒプノシスマイクにハマったことで「わたし」と「オタクの私」は違う人物というか、違う社会を生きているから、一つの人生軸で構成されていないのだ。例えば、先ほど挙げたソシャゲの話でいえば、半日を費やしてレベル上げを頑張った時間は、「わたし」の人生軸には換算されない。逆に、「わたし」が一般人として休日を満喫した場合、「オタクの私」軸では時が止まっていることになる。二つの社会を行き来し、浦島体験の連続になるのだ。どうしてオタク社会は一般社会と相容れないのだろうか。やはりそれは先ほどのメモにある通り、人ではなくオタクとして_人権がなく、有象無象に過ぎないような扱いがまかり通っていることが理由にあたるのではないかという話をした。

 

ところで、三浦に久しぶりに会えたのでたくさん構ってくれと言いまくっていたが依然三浦は塩対応なのである。私が盛大に誕生日を祝ってから急につれなくなったのでマジでコイツと思ったが別にお返しを約束してほしくて祝ったわけではないので飲み込んだ。

インスタにアップする用の写真を撮っていると三浦の取る私がブス過ぎて思わずギェーと言いそうになった。それに比べて三浦は喫煙してて私よりもあんまり容姿に執着していないのに様になっているのがナンデ~とおもう。

オタク人生は勘弁やなあという話をしつつ、三浦はYouTubeだかなんだかで好きな芸人の配信をチェックをしていた。私の話を聞いてはいるけど、本命はそっちなんだろうなという感じがありありと伝わってきていた。「まだ帰りたくない」「いや、帰るから」わかっとるわ。帰らん奴がどこにおんねん。せっかく会ってるのに三浦との心の距離がどんどん離れていく感じがして、私って何?というセルフツッコミを心の中で入れた。

 それでも、三浦は優しい。ていうか拒まない。三浦の私に対する信頼はきっと厚いし、そのおかげで今こうしてスシローのラーメンと混ぜ蕎麦を半分こして食べることができる。全肯定で相手に快感情を与えるミウとは違い、三浦は受容で相手に快感情を与えている。時間も時間なので、その日は解散した。私も三浦もたくさん食べた。

 

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蟹の混ぜ蕎麦ということで、本物の蟹味噌食いて~と思った。ラーメンのがおいしかった

 

その日のツイッタ~は荒れに荒れていた。以下コピペ

 

今日三浦に撮ってもらった写真がブスすぎて、私いつもこんな感じなんだ、コレで愛嬌無かったらマジでやばいよなあ、三浦はしっかりしてて綺麗でいいなあ、大切なものが失わないものばかりでいいなあと久しぶりに三浦を遠く感じたりした(全部言った)

ブスだからメイクも濃いし髪の毛も綺麗にしなきゃいけないし服にも纏う匂いにも気を使ったり体型だけでも努力で変えられる部分は鍛えて性格も慎重に作って自尊心の基盤をオタク趣味で補って悪い印象を作らない為に充実した生活を送っているように見せておいてこのザマですよ

私は三浦と一緒にいられるのすごく楽しくって嬉しくって、でも三浦は人の事は割と見たままな感じで、三浦の大切なものに膨大な時間とお金と情熱を注ぎ込んで、それでようやく私の存在がプラスアルファという枠組みにいるわけだから、私も出来たらそうしたいけど三浦のこと大好きなんだもん…

もっと一緒にいたいと思う自分と家帰って推しのチェックするタスクがある三浦の充実度ってそこだけで比べたら私の方が可哀想な感じ、だけど別の部分はさ!みたいなことを、そもそも三浦は考えてなくって、その不干渉さに伴わない交友関係の円満さと、そのルックスに心底嫉妬する 大好きなのとはまた別

普通の人になるために奔走した後にようやくオタク趣味に手を出せる私と、オタク趣味を主柱に生活しながら生活をこなす三浦の、結果(総合評価?)が逆であって欲しかった訳ではないですが普通に総括して自分ブスすぎワロタです完

 

私は一般的なコミュニケーションをとる。自己開示と自己呈示、返報性の重要さも理解している。というか、行動の根幹が寂しさなのでコミュニケーションを怠れば寂しさをカバーできないので、わたしのその辺の能力はかなり高いんだと思う。

一方で、私は三浦のことをよく知らない。三浦もコミュニケーション能力がかなり高く誰からも好かれているが、自己呈示と自己開示をなかなか行わない。つまり、受容と肯定、返報性でコミュニティをこなしているということになる。一般的な質としてはいまひとつ欠けるものがあるけれど、私含め三浦の話し相手は「良い気分」になるのでなかなかそれに気が付かない。

また、三浦の行動の根幹は明らかになっていないが_少なくとも、寂しさや孤独のソレではない。そもそも、三浦は質の高いコミュニケーションをそこまで必要としていないのではないだろうか。もらえるものはもらって、楽しめることは楽しんで、でも三浦から相手にボールを投げることはないのだろうな。私とは違うのだ。求められる人間と求める人間なので、私がしつこく遊びに誘って、三浦がしゃーないなとそれに応える形でないと関係が成り立たないのだ。

 

なんかなあ。と思いつつ三浦に「今日のこと日記に書いていい?」とラインを送ると、二つ返事で快諾してくれたが、読むかどうかはわからんと返ってきた。

「一応マナーやからね、あと、三浦が人に興味ないのわかってるし、読んでって事じゃないから安心してね!」

随分棘を含んだ物言いになってしまったな。と思ったが、割とすぐに返信が来た。

「人に興味はないけどサバの文章は読みたいと思うよッ!」

完全に気を遣わせてしまったな。とりあえず今は頭を冷やして余裕を持ちたい。だって、三浦といると楽しくってつい食べすぎる。いつも一人でスシローに行くときは大体1000円前後だというのに、今回は1600円だった。

 

家に帰ってからツイッタのフォロワーさんとヒプノシスマイクのアニメを通話しながら同時視聴して楽しんだ。文句なしに面白かったし、祭りみたいになってて大手ジャンルってすげえなって思ったし文句なしに楽しかった。そこから3時くらいまで眠い目をこすりながらいろんな話をした。気がかりなのは、件の交換する予定の性癖本の進捗だ。実を言うと完成できませんでした★テヘ みたいなのでも許されるかなと思っていたけどアンさん(通話のお相手)は結構しっかりとしたビジョンを持ってはって、こらアカンわと思った。頑張らねば。

東京旅行は最大限に楽しめるように不安要素をどんどん消していきたいな。準備がたくさんあるし、そのあとの謙虚な暮らしを一層楽しむためにも豪遊しなくては。

 

ところで、最近初対面の人間によく顔面の指摘をされるのだけど、それが大体「顔」で、要約すれば皆一貫して可愛げのある阿保面だと言うのだ。最近になって少しづつ自分も一般人の装いができるようになってきたかな~と思っていたところでこれだった。死んだ目から脱出したところで上の空フェイスなんはどうなん?わら

強い顔面が似合わないのだ。結局、阿保面というのは敷居が低いゆえに人に利用されやすいしナメられる。チクショ~

 

収まりつかんくなってきたからそろそろ寝なくては。明日はなにをしようかねえ。

日記 2020年10月8日 木曜日

最近のこと

 

狂ったように絵を描いていた。が、もはやそれが正しい行いかどうかわからない。2週も授業をサボり、働きもせず、ろくに家を出ずにやるほどの価値があるのだろうか。

将来やお金の不安で日中は常に落ち着きがなく神経が過敏になっている。以前は夜が怖かったのに、不安から逃れやすい環境だと気付いてからは毎日夜更かしをしている。時が止まったように感じて、期限が切れていくタスクや身体のこと、セルフケアを怠っている事の罪悪感が緩和されていく。加えて、日中無駄な時間をうだうだ過ごしたくないので徹夜をすることで正午に起きることができるのだ。明らかに破綻しているし、破滅の一途をたどるだけの生活だが、私にとってはいささか合理的だった。

 

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暴食の化身

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ディスコ放ってミナミの定食屋で食べたハムエッグを思い出しながら

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家で一人ご飯を食べているときは大体裸だけど最近寒くて限界近い


 最近のことでいえば、TENETに心を鷲摑みにされている。簡単に頭をぶん殴ってくれるコンテンツほどありがたい物はないし、今の世界情勢を鑑みて(使い方あってる?)、このような機会は徐々に減っていくのだろなと思った。

ところで、私の性癖がTENETのおかげで明らかになった。「人々が結束した力」を具体的にしたもの_国だった。TENETのエンドロールで各国ごとにクルーが紹介されていたのだけど、その「イタリア」だとか、「ウクライナ」だとか、そういう字面に滝のような涙が出たのだった。ついでに言えば、私が大好きなロンドン五輪開会式は涙なしには見られない作品(?)だが、友達はわからないという。

「国」を感じさせるような創作って何だろう?やっぱり私は「体験」を消費する人間で、自己生成はちっぽけな絵と自己分析が関の山ということになる。慎ましく生きていかなければならない。

あ、そうそう、ふっつうにリアルで知り合った人たちはTENETは微妙とのことだったけど、ツイッタから友達になった人たちは総じてTENETは良い!と言っていたのでやっぱり自分の好きなように環境を操作できるSNSってちゃんと結果がついてくるんだなとしみじみと思った。

 

 印象的だったことは、バイト先の友人たちとはじめてバイト先で食事会をしたことかなあ。たくさんサービスしてくれて嬉しかった。アルバイトとしての目線と、客としての目線は全く違うんだということがわかったし、ここに居る人たちは優しい人ばかりだなと思った。

 

 

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おめかしして一等地で豪華な食事をするのは煌びやかだなと思った

これオモロいん私だけなんやけど、シモジョーさんが「こんなに残して!農家さんに謝り!」ってしつこく言うからスープは飲みます、すみません泣って言いながらスープ飲んでたら「食べんでいい!捨ててまえ!そんなもん」って急に手のひら返ししてきて、コレ思い出し笑い1週間いけるやつと思ったね

午前0:48 · 2020年10月7日·Twitter for iPhone

 

金木犀が咲いている。深夜三時に猫が私の部屋を訪ねてくるので、ベランダで月光浴をしながら金木犀の匂いを楽しむのが夢みたいで本当に幸せだなと思う。金木犀は自生しない(人の手で植えられているものしかない)らしいので、近所の家に感謝したい。

毎年金木犀が咲くとそろそろ誕生日だな~と実感する。冬の気配はまだ感じず、実りの秋だけ、ゆっくりと深い時間が流れていくのを全身で感じられてとてもうれしいのだ。

 

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 あとは、久しぶりに学校に対面授業を受けに行ったのだけど、5回くらい足を運んで実際1回くらいしかちゃんと受けてない。原因は自分のウッカリミスと事前準備の怠りである。

 とはいえ対面授業は一部なので毎日学校に通っているわけではないし、当日中に授業を受けて課題を出せという決まりもないので、最近は寄り道して帰っている。これがなかなか楽しくて、やっぱり定期買ってよかったなあと思うし、これが時間を持て余した大学生(という括り)の醍醐味だよなあ。とおもう。途中下車は刺激がいっぱいだ。知らない商店街でパンを買ったり、会話をしたり、お気に入りの場所を見つけたりするのが楽しくて仕方ない。毎週木曜にはクレープを食べる。調べたり、調べなかったりで毎回違うところでクレープを食べるが、食べながら歩くと、その味も相まって街の感じがよくわかるのだ。そして、毎回赴いた土地で散策をしながら、私がこの町で一人暮らしをしたら…という妄想をするのだ。私の希望は、周りに商店街があって、海に近いところ。小さな飲み屋と、おいしいフードが出る茶店があったら大満足だ。いずれにしても、神戸から離れたくないのだな~。

 今日は長田をあるいた。お目当てのクレープ屋さんは建物の中にあって、買ったら店内の椅子(と言ってもかなり狭い)に腰掛けてそのまま食べるのが主流らしかった。わたしはクレープのホイップに並々ならぬこだわりがあって、フランチャイズの店ではカスタムが難しいので、こういうお店が本当にありがたい。長田のお店は、見た感じオモチャのクリーム(植物性のホイップ)ぽかったので、クリームミルクというのを頼んでみた、ホイップとコンデンスミルクだけのシンプルなやつ(というか個人経営のクレープ屋さんはシンプルな組み合わせばっかりなのでそこが好きだったりする)。

 カロリーの暴力はうまかった。店番をしているおばちゃんがすぐに近くの椅子に腰かけて常連のおばちゃんと談話している。ウマウマと思いながら食べていると鞄にホイップがべちゃりと着いて、「ア~」と言うと、店の方がすかさず「やっぱり落としたね!」といってウェットティッシュを渡してくれた、やっぱり、というのはこの間抜け面のことだろうか。でも、笑いながら美味しかったです、御馳走様でした。と退店できたので、やっぱり下町は暖かいよな~と思った。

 

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いかにもローカルな感じが愛おしい

 

 散策を続けていると銭湯や昔からある外観のかき氷屋さん(中に老夫婦がいた)があって、入店するか迷ったが、こんな寒い雨の日に風呂入ってかき氷食べてから山を登って帰るのは得策ではないよなと思い次に回すことにした。

 

総括して、やはり季節を感じることを己の生業にして生きていくことが私の幸せなんだよなということです。生産性なくって、生業と呼ぶには不確かすぎる。でも日本で季節を感じる文化ってたくさんあって、それをこなすのはなかなか難しいのだ。絵も描くけど、私が本当に私でいられる時間_外界とのつながりを感じるために、それなりの余裕をもって日々励んでいきたいと思った。