日記 2019年12月5日 木曜日

2019年12月5日 木曜日

 

今朝食べたもの
サムゲタン 卵焼き ミカン タコさんウィンナ ジャムトースト

 

坂本先生から新社会運動論を教えてもらう。
マイノリティが富(資源でもいいのかね)とつながるという話だった。

 

そのあと大野左紀子さんのツイートをなぜリツイートしたのか聞いてみた。
先生曰く、「主体性」の使い方に誤りがあるらしい。おそらくセックスの「主体性」らしき言葉は「主導権」のことを指しているのではないか?とのこと

主体性とは哲学で用いられる言葉であり、日本で実際に使われ始めたのは1960年代の学生運動が盛んだったころ、梅本克己が「主体性」という言葉をマルクス主義の支持・不支持をめぐる議論で用いたのが始まりと言われている。ここでは参画(commitment)の意味をはらんでいる。

セックスを語る際にヘゲモニーを用いる女性たち(主導権を奪い返せ(さらに言うなら主導権を握るべきだ))もいるけど、そもそもセックスこそ(大野さんの言う)主導権はないものではないか、主体性が「曖昧」というのは言葉の意味としてどういうものかという話だった。

 

え~
な~んだ
よかた ホ

 

もとはと言えば(別の日記にも書いたけれど)上野千鶴子への批判から始まった発言が歪曲したせいで元の意味を持たない独立したワードになっていたことを問題視していたので、セックスワーカーの主体性の有無による「意識高い系」「意識低い系」の分断を招くことを心配していた私は先生が少なくとも批判的な立場にいたことに安心した。
だって主体性って何?定義がきっちりなされていない記号を語るのは非常に危険だ。

 

ただ、先生が発言のもととなった記事、さらにその元の記事を読んでいなかったのが残念だった。いや、読む価値はないんだけどさ。。
先生にとっては「主体性」の発言に必要性があっただけで、フェミニズム云々はあまり大切じゃなかったのかなーと思う。

 

先生はけろっとしている。

私はその「けろっ」に翻弄されては、安心するのだ。

 

生々しい話だけど、とちょっと苦笑しつつ「セックスってそういうものじゃない」と言っていた先生に、「いや、でもね、違うのよね」とも思た。

先生のいう「そういうものじゃない(主導性の所在を探る)」セックスは、男なら、女ならという前提条件でだいぶ変わると思う。先生がいわゆる「愛のあるセックス」と「売買春によるセックス」を同一視しているかはわからないけれどさ、少なくともセックスワーカーが主導権の所在を探ることは大きな意味があると思う。

 

ウー

 

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アキラちゃんと一緒にお酒を買いに行ったらまさかの定休日だったので私はそのままカフェで明日のプレゼン資料を作った。
まだわからない部分があるけれど冷静になって考えたらわかることが多くて助かった。

 

午後八時、突然労働が入ったので一生懸命働く。そして11月分の貯金のノルマをクリアできた。はーっ、あんしんあんしん!

 

家に帰ってお風呂に入る前にニャといっしょに謎の遊びをした。脱衣所の戸を閉めるさ中に猫が襲い掛かってきて、戸を開けると猫が飛んでどこかへ行くのだ。

 

マツキヨで買った安いボディクリームが体にぴったりですべすべになっててうれしい。ニベアの倍の量で同じ値段なのでこれは永遠にリピートしたい。