日記 2019年11月30日 土曜日

2019年11月30日 土曜日

 

生理のせいで眠たすぎる!

 

神戸女学院大学に急ぐ。阪急が運転見合わせだったのでパン屋に寄って大阿蘇牛乳を買って飲んだ。

 

10分遅れて着いたけれどさわのさんも同じ電車に乗っていたし、金先生には会えた!
山を登って講義室を目指す。流石西宮のイイトコの学校だなと思う。紅葉が秋の空風によく似合う。お上品で閑静な街だなと思う。

 

金先生の講義はラブホテルの文化史というものだった。
この講義はここに書くには内容が濃すぎる、というのも学ぶことが多すぎたし、私がここに書いて誰かへおすそ分けするより、この喜びを直接話すことで共有したいと思ったのだ。

 

金先生のいう大人の定義とは、ギフトされる側からする側へ回ることだといっていたのが感慨深かった。坂本先生も山口先生も似たようなことを言ったからだ。

 

講義の中で特に面白かったのはラブホテルはセックスをする場所→セックスもできる場所→セックスを楽しむ場所、という変化が時代と共にあったこと、利用者のニーズがラブホテル事業に変革をもたらしていること

 

個人的に、人脈の力や人柄は大いに影響するのだなと将来の自分への参考になった。
大学院生になった時にどのような日々を過ごすのか、想像がつきやすくてありがたかった。

 

個人的にうれしかったこと
金先生はわたしのことを覚えてくれていた!

 

講義が終わった後、さわのさんとふたりで中庭や教会らしき内装の建物を見学したりなどした。あまりに美しかったので感動した。自然に溶け込むさわのさんはきれいだなあと思ったりもした。

 

そのあと岡本に移動してさわのさんとお散歩した。
雑貨屋で私はワインが飲めそうなグラスを、さわのさんはベトナム(タイだっけ)でよく使ったらしい蓮華と、ハーゲンダッツを食べるのに最適な銀のスプーンを購入した。
破格の値段である。大満足だった。

 

そのあと数点店を見て回って昼餉を頂いた。結局18時くらいまで居座った。さわのさんが初めてキャロットケーキを食べ、そしてティーコージーを使ったことを喜んでくれた。

そしてたくさん話した。が、内容は割愛する。私とさわのさんのひみつにする。

 

さわのさんのことを私はよく知らないけれど、彼女の慎重に言葉を選ぶ姿勢、独特な間合いが好きだ。
もっと知りたいと思うし、さわのさんが大切にしているものを私も守りたいと思った。
好きだとか尊敬していると相手に伝えるだけではなくて、行動に移して誠実さを伝えたい。私はさわのさんに友人として認められたいのだと思う。
いろいろ教えてもらったし、心理学のことなど教えられてうれしかった。

 

すっかり日も暮れたころに帰宅。
ツイッターをみると坂本先生がリツイートした大野左紀子さんのツイートが目に飛び込んできた。突然ぶん殴られたような衝撃を受けて固まる。

 

(だいたいセックスって主体とか客体とかクルクル入れ替わったり、客体ぶって主体性が発揮されていたり、主体が崩れていくのが快楽だったり、どっちともつかない中でなんか起こったり、別に起こらなかったりする曖昧なもんじゃないのか。「主体性」を信じすぎ。主体性信仰。

https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1200682051894005760?s=20

 

なああああああああああああああああん????????????????????????????

いやいやちょっと待てと冷静になって文脈を見、その前の記事を読み、記事が批判している記事を読み返し…。
納得できない。あんなに話したあとに申し訳なかったけれどさわのさんにラインを送り、山口先生にも聞いてみる。

 

結論から申し上げると坂本先生(多分賛同したからリツイートしたんだろう)と山口先生の意見は同じだった。つまり肯定的だったのだ。
山口先生のお言葉を拝借する。(省略、中略有り)

 

フェミニストであろうと、さまざまに考えるところだと思うよ。
この話で、フェミニストであることの条件は、「女性は性的に抑圧される必要はない」という理解です。
そのうえで、その性というもの、主体性というものについて、様々にそれぞれが考えているのであって。今のはサバちゃんの考えとして、全く主張されて良いことだと思います。

 

「主体性」というのは、自分の中にしっかりした本筋があって何か適切に判断できる、というようなものではなくて、迷ったり間違ったり考えたり振り回されたりしているその過程に現れるものじゃないのかと思うからです。

 

「主体的」にセックスなんかしたことない、と書いているのです。
この文章のなかで、主体性に「」がついているのは、とても大事です。
「」は、いわゆる、という意味をこめるときに使います。
だから、より正確に読むならば、「いわゆる上野さんがいう意味での「主体的」にセックスなんかしたことないわ(どっちが主体でどっちが客体か、あいまいで不安定なものとしてのセックスしかしていないわ)ということだと思います。

 

主体性の議論っていうのは、「自己の強度」をどう考えるかということでもあるので、
強く考える人もいるし、固定的じゃないと考える人もいるし、様々です。
(おわり)

 

結局私は「それでもこの人の言葉に私は傷ついたし、先生の説明と私の問題視している部分が若干外れている」と感じ、悔しくなってしばらくの間泣いていた。
山口先生はもっと正確に文脈を読み取ることが大事だと、私が傷つく理由はないんだと、何度も読み練習していくことで身に着くのだと窘めてくれた。

 

そうじゃないんだ…

 

とおもっていたところでさわのさんから返信がきた。
さわのさんからのラインの引用は控える(先生は先生だけど、さわのさんはともだちだから)。
先生と話した時の私しか感じていないであろうズレにさわのさんは的確に指摘していた。

今日会ってたびたび話題に上がっていた「言語化の危うさ」について通ずるものがあり、かつ、当事者たち(ここでいうセックスワーカー)の分断を招かざるを得ない非常に危険な発言が多いという話などした。
そしてなによりもベクトルが違うんだということ、当事者意識を主張していいという事実は揺らぐわけがないこと。

 

私一人ではだめだったなと思う。今日はいろんな人に助けられた、さわのさんにはとくに感謝したい。
生理のせいで眠たくて言葉がすぐに出なかったこと、理解するのにも時間がかかって負担させることが多くて申し訳なかったけれど…。

 

私は当事者でもあってそこから離れた立場にもいる。これから先きっと同じような気持ちを何度も味わうことになるだろう。今までもそうだったように。
だからこそ連携が必要なのだ。

 

くssssssssssssっそ~~~~~~~~~~~~~
しかしくやしいぞ。坂本先生に胸倉掴んで叫んでみたい、「理解してくれとは言わない。知ってくれ。」と。
坂本先生はなんであれをリツイートしたのだろう。
でも聞き出すまでに悔しくて絶対泣いてしまう、だってあのツイートには賛同できない。
それを尊重されるとも思えない。

 

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女学院の床 美しい

 

深夜
よっぽど悔しかったのか、なかなか寝付けなかった。
ようやく眠りにつき、夢の中で坂本先生の鼻っ柱を折る夢を見る。
ふと目覚めると鼻血が止まらなくなった。
なんだかおもしろかった。

 

鼻血をふきながら笑いつつ、あ、先生方はあのツイートに引っかかる部分はなかったのなら、もうここから先は一人で戦っていくしかないのだと思うと急に寂しくなり、やはりどこまで行っても人間は一人なのだと思うと寂しくて悔しくて悲しくて声をあげて泣いた。