日記 2021年4月6日 火曜日

日記 2020年4月6日 火曜日

 

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これは質のいい肉

 

春が来た。桜をはじめとする「春」を代表するような花々が美しく咲き、季節の変わり目を感じている。ダウンジャケットから同色の薄手のナイロンジャケットに衣替えし、新生活に順応できるように頑張ろうとボンヤリ思いつつ、新生活の実感はないままだ。

 

去年の今頃、「世界は大きく変動していっているというのに、私の生活は色を失ってしまった」と閉塞感に絞め殺されそうになっていたが、「慣れ」た。生活の流れに乗れない危機感や孤独感、世間全体の不安をどこか客観視している自分がいる。自分しか自分の生活を変えることはできない。桜を見ても、春の匂いを嗅いでも、待ち焦がれていた春とはどこか違う気がして、解放感を感じるためには前提として苦しむ必要があるのだと再確認した。通年どこかで季節を感じるイベントに参加していれば望んでいるトリガーを引けるはずだと記憶を遡り、先日は白鶴美術館に足を運んだ。春は桜を見に、秋は紅葉を見に行く。そして今日知ったがその美術館は春秋しか開館していないらしかった。御影は相変わらず美しい街だった。「神戸・理想の休日コース1」を回り、帰宅してまた就活準備。

 

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今年撮った写真の中で一番春っぽいの

 

近況報告

 そう、当たり前だが4回生になったんで今は就職活動に勤しんでいる。日記をサボっていた理由は簡単で、ESや面接に備えて「自己分析」を行うことが恒常化されてしまい日記の必要性が失われてしまったからだ。

就活、面接では通るけど書類で落ちる。「AはBだ」とか、「私はXなのでYだ」等の、「断言」という行為については常に危機感を感じていたため、それを極力避けるとなんとも歯切れの悪い文章が完成してしまうからである。倫理や哲学の勉強はするんじゃなかったと恨めしく感じた。

社会はグレーなのに私は白か黒でいなければならない。本質は黒だが白くあるように努めたいみたいな事しか書けない。就職活動は嘘も逸話も盛り込んだ虚構のオンパレードである。終わりが見えない。社会人のあの気味悪い目の輝きは人為的に作られたものなのだと再確認した。社会の手となり足となる覚悟など備わっていないが、それらしく装わなければ当たり前に落ちるのだ。会社は純粋な人材を欲しがっている。なので、如何に「純粋」であるかの差別化を図る必要がある。そのため、純粋さの上を行く「自然な」純粋さという高度な騙しあいに発展するのだ。不毛すぎる。早く終わらせてくれ。

 

閑話休題

就活ではセクシズムの圧がすごい。こんなことあるんだっていう都市伝説みたいな体験をどんどん重ねていって、とうとう今日、性別を理由に志望の辞退さえも迫られてしまった。

 ここで「むしろ良かった」「気にせず次行こう」と声をかけてくれるひとも沢山いて、有難いなあと思う反面、一番有難かったのは私の悲しさや怒り、無力感を引き受けて一緒に怒ってくれる人たちだった。

他の誰の為でもないわたしのため、怒りを起爆剤に、使命感を盾に、世の中を正していかなくてはならない。「気にしなければどうにかなる」、所詮その程度の存在として性差別が軽んじられていることが一番の問題点なのだ。看過できない状況にあると気付いていたはずなのにどこか他人ごとに感じていた自分をブン殴りたい。笑って誤魔化すな。戦えよ、己の名誉の為に。

 

明日から面接ラッシュが始まる。こないだ対面面接を行ったが「家業は長男が継ぐのが安泰だよね」の発言から企業の残念な面がどんどん露呈され、結局私はフェミニズムの話をしてしまい(してしまいとはなんだ!)、面接官に「わかってもらおうと思うのが烏滸がましい」と一蹴されたのだ。(田中美津⦅敬称略⦆みたいなこと言ってんなと思った。)当然落とされたが、成功より失敗の方が学ぶものが多い。なので明日の面接は反省点と要点を押さえておけばなんとかなるだろう。

 

あ、後味の悪い日記にならないように嬉しいことを追記するとしたら、最悪の対面面接デビューのあとに同じ就活生の子たちと晩御飯に行き、そこで「話を聞きたい」とフェミニズムの解説を求められたこと。いつもは必ずどこかで「う~ん」と言われたり、男性に「理解できない」とバトルモードに突入することが常だったが、その場では「初めて」語りかけることに成功したのだ。彼ら、彼女のまっすぐな瞳を忘れたくない。あの子たちとまた会いたい。そしてどうか、その企業には就職してほしくないものである。

 

追記の追記

フー・ファイターズの新譜マジでええ~