日記 2019月11月4日 月曜日
2019年11月4日 月曜日
田舎の祖母の家に帰省した。
ざっと。
昨日なぜか夕餉を食べてしまったので朝、気持ち悪くなってしまう。
11時ごろに出発する
祖母の家に着くなりさらに移動し、海の見える道の駅に到着する。
ちなみに11月3日は祖母の誕生日だったので普段食べないところ(田舎では食事する場所が固定されてしまいがちなのだ)へ行こうという話は上がっていた。
野外BBQする。海鮮のみで新鮮。アナゴが一番おいしかったなあ。
外国人にここでBBQをするにはどこで買えばいいのか聞かれて、「2階へ行け」と言おうとすると「ツーセカンド」といってしまう 何?死ぬかと思た
生理が来る!!!!!!!しかし昨日くると思い込んでいた私はなぜか今日も来るわけがない(笑)みたいな感じで全く生理用品を持ってきていなかったのでビビる。
コスモス畑に行く。とても綺麗だった。
そのあとショッピングモール(すごく廃れている)やケーキ屋に行って誕生日ケーキなどを買う。
私はこのケーキ屋に個人的な思い出があって、その時に食べられなかったロールケーキをねだると父が買ってくれた。父の財布事情を気にしてしまう。
生理が来て食欲が失せているので夕餉はパス。ほかの人は車でどこかへ行ってしまった。
なんとなく台所を除くと祖母がどう見ても私たちのために作ったおかずが置いてあったので何とも言えない気持ちになる。
祖母が帰ってきたのでケーキを食べる。
ロールケーキの味はあの時と同じなのかもしれないけれど、思ったより普通の味だなと思った。
やっぱり「初めて」のインパクトは大きい。そして、経験などの後戻りは絶対にできない。
そのあと祖母が作ったおかずを夕餉にいただくことにした。正直これ以上何も食べたくなかったけれど、傷つきやすくて繊細で、人の感情の動きに敏感な祖母を思うといたたまれない気持ちになったので食べる。
すごくおいしかった。持って帰りたいな、と思っていたら持って帰らせてくれた。
帰り、祖母が私たちの乗る車が見えなくなるまで手を振っていた。
私たちにとってはたかが帰省なのかもしれないけれど、祖母にとっては今日がかけがえのない思い出になっているのかもしれないのだ。
私はそこを汲み取りたい。掬い上げてできるだけ応えられるようにしたい。
ひとは尊いと坂本先生が言っていたのを思い出していた。
さいきんほんとうにそう思うことが増えて、わたしは例え世界が厳しくて、私が荒みそうになっても人を思いやる気持ちを忘れずにいたいよ。
そしてここ二日間で気づき始めたこと 言語化に挑戦することにしました。
多分私はほかの人に比べたらすごく特別なんだと思う。
特別、っていうのはたぶんね、普通より遠いところにいるとか、そういうことじゃないんだよな。
普通っていうのは平均ってか中央値だと思ってて、そこから離れているひと、例えば「他人なんて気にしない」という人は人に不快な思いを簡単にさせるし、他人に興味がなくて、自分が大事なんだと思う。それは個性であって特別じゃない。
返事をしなかった能川先生をいまだに根に持っているんだけど、あの人を例に挙げると、先生は勉学を生業としているから、その辺のスペックがほかの人より長けているよね。
何かが特別上手な人(すごい人)=人を思いやる気持ちがない
的な思考になりがちなんだけどそうじゃないんだよ~
だから「あの人は天才だから仕方ないよ」的なことはありえないんだ。
たぶん、美の絶対的な正義と同じで、美人は何を言っても許されるよな、みたいな感じなの。仕方ないよなと思ってしまいそうになるけど違うんだ。
うちの祖母はすごくめんどくさい人で、でもいい人で、悲劇のヒロイン症候群ぽい。だからちょっと嫌われているというか、あしらわれてしまうことがある。
でも人を思いやる気持ちはあるのだ。悲劇のヒロインにも人の気持ちはある。
個性と、その人の心の動きを同一視してしまいがちな人が多いんだよ。
そして、私の何が特別なのかというと、普通の人の気持ちがわかること、そうじゃない普通から少し離れた人の気持ちもわかること、それらをまとめられること
自己開示がうまいこと。
人の話を聞くことができること
あと、物事に正解はなくて、たくさんの視点があるということがわかっていること
五体満足で生まれていること
貧乏ではないこと
みんなが気にしないようなことを、掘り下げられること。
とか、思いやりができること。恩は返そうと思うこと。
ちゃんと忖度できること
とか。私がどういう人間で、どれだけ前向きで、根が明るい人間なのか最近よくわかるようになった。
すごい進歩だと思う。
いま裸んぼで日記を書いている。そろそろ眠たいし寒いし足がしびれてきた、寝よう。
明日は叔母の家にフランスのお土産を持って行って、自主ゼミに行くのだ。