日記 2019年11月16日 土曜日

2019年11月16日 土曜日

 


寝坊という訳ではないけどだいぶ遅くに起きた。
猫がやれやれやっとかという顔で部屋に居座っていたのでベランダに出してやると大層喜んで喉を鳴らしていた。

最近構えてない。水曜日は時間が取れるからめいいっぱい遊んでやりたい。

 

昨日食べたご飯が胃に残っていて腹が重たいため、牛乳を温めて紅茶にしたのを2杯作って飲んだ。腹を下してへこませたい。糖分は特に効く。

 

父が駅まで送ってくれた。
労働に向かう電車で突然お腹がぐるぐると動き出してマジで途中下車したくなった。でも耐えた。

 

労働を終えて、やっと食事をとる。
サイゼリヤに行ってチーズをたくさん追加したピザを食べた。贅沢だなあと思ったし、この特別感はたまにで良いなと思った。

 

昨日のことを振り返ったりして移動時間を消費した。
わたしはね、誰かと食事するだけで幸せになるくらい簡単な人間なのよ
銭湯も行けたら最高だと思う
花屋に寄って、空気に透けたような花びらを手のひらで温めながら帰りたいね。
夕陽が落ちる間に家路につく。

 

或いは
行くあてのない深夜に、閑散とした中華料理か韓国料理屋で、蛍光灯のまぶしさ、眠たさで微妙な空気になりながらお腹いっぱいご飯を食べたい
肌の色が不健康な黄土色に染まるあの電飾に、食欲を奪われながら、話すことが何1つ見つからずに完食してしまいたい

 

ね。
これらは間違いなく特別な思い出になるんだろう。
なるだろうが、それを誰と作るか、私の永遠の課題はソレなのだ。
慣れというのは恐ろしいもので、きっとこの理想の思い出作りだって何度も重ねるとただの日常になってしまう。
もう消し去りたい思い出にはもってこいだけど。

 

人と時間を過ごすことの最大の利点は何か考えたことがある。

私は、おやすみとおはようの間の、なんとも言えない真っ暗闇の寂しさに明かりを灯せることだと思う。
寂しいときは寂しいと言って、同じ時間だけ積み上げていく。

 

ああ、朝帰りしたい。早朝5時の都会は生ごみが水蒸気になってしまったみたいに穏やかで良い。今から始まる一日の、もううんざりしたような足音を、柔和な光が包んでゆく様を。

 

朝帰り?誰と?
誰だろう。
誰かの特別になりたいとは思わないけど、誰かをわたしの特別な存在にしたい。

 

一晩中ともに居てと私の巣に招き入れ、私の匂いをつけて帰らせたい。ああ、誰なんだろう。

 

私は20歳だけどまだまだ子供で、爛れた街には興味がない。
知っていくのだろうか、それとも知らないままに老いて死ぬのか。

 

つまらない人間になるなよ。

 

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石。持ち主の気持ち次第で価値が変わる。

 

そういえば、今日も坂本先生に話しかけたりした。
私が思うことは、どうしたら先生みたいになれるのか…常にそれだけである。
何千年と生きた化け物を飼い慣らしてるみたいでかっこいい。
歳をとるのは敗北だと思わせないのがすごい。雅馴という言葉とか…。
あ~。坂本先生に会いたい、もくよびまだですか?ていうか会わなくていいから先生を観察した~い。
オイオイまた読まれて大変なことになっても知らんぞ。

 

先生に有意義な時間を過ごしていると思われたいね。

 

明日は早朝から労働なのでお腹いっぱい夕餉を食べた。
だから明日も今日と同じ繰り返しなのだ。ちょっと食べすぎちゃったかな。
いいや、お風呂入って寝よ。