日記 2020年1月1日,2日

2020年1月1日 水曜日

 

新年あけましておめでとう!私は昨日の夜ドリエルを飲んでしまったのでとっても眠たいです、なおかつたくさんご飯を食べたのでお腹がむかむかしていて気持ち悪い。

 

祖母の家へ向かった。そして適当な時間を過ごしたりした。
お正月というのはメチャクチャ暇なもんで、よく思うのはこのコタツがなければもう少し有意義なことができただろうなということ。

 

初詣(参拝の列には毎年ならばないので全く初詣じゃない。しかし並ぶのもどうかと思う自分もいる。なんせ寒い。)に行く。
醍醐味はおみくじなのである。

私はここ三年間末吉だったけれど内容は覚えていない…しかし今日は覚えておきたいおみくじの内容をここに書き記そうと思う。

 

運勢 小吉

 

願望 思いのままです 他の人の世話をよくせよ
学問 決心が足りない勉学せよ
争事 勝つ 人に頼むが吉

 

イエ~~~~~~~イ勝ち組~~!!!
学問に至ってはこのおみくじの内容を覚えておけばより慎重になれるぞ!おみくじの役目ってそもそもそれだし。

 

そういえば裏面の神の教でいいことを書いていたので抜粋する。

 

自分も知らず、先方も知らぬが、可愛いと思う心、憎いと思う心、それが此身体から光となり、波となって、先方の身体に、心に傳わって、これを助け、これを傷つける。

※傳(つた)わって

 

ホォ~ン

 

そいえば家族全員でどこかへ行くとき、私はいつも疎外感を感じている。
理由は書かない(めんどくさいから)。

結局のところ、善意で相手の行動を否定したり、選択の幅を狭めるということは自身の言葉に責任感がないとしてはいけないことなのだと思う。

 

夜はすき焼きを食べた。おばあちゃんの料理はおいしい。人の作ったご飯はおいしい。

 

そして家に帰ろうと車に乗り込み、ツイッターを覗いていると私の数少ない友人がある男に心を傷つけられていると知る。

 

全ての内容を把握することはすぐには叶わなかったが、シスターフッドを通して、今、ここで怒らなければどうして生きていられるんだと思うほどに胸が痛くなった。

 

結論から言うと、そいつはとんでもないバカだった。ミソジニストにも及ばない本物の脳内お花畑であった。
私は彼女と2度しか会ったことがないが、お互い違う道を行き、違う価値観を持っていることを前提に尊重しあえる素晴らしい仲だと思っている。
その男はわたしよりも何度も会っているらしいが、傷ついていることを伝えても尚一歩引きさがって謝るという行動をとらず、挙句の果てに保身に走った誰がどう見ても、痛々しいほどに恥ずかしい男だった。

 

わたしたちは絶句した。
なぜならこんなにも見栄を張っている男を見たのは初めてだったからだ。(いや嘘。こういう男は珍しくない。なぜならマジョリティだから)
と、同時に何かを貶してまで自己肯定感を得ようとする。これもまた無意識に行われている事で彼もホモソーシャルの被害者であることに変わりはないのだが、その惨めたらしい素性が、逆に私たちが女でいてよかったという皮肉な結果を招いたのだ。

 

結局遠くにいる彼女を抱きしめ、背中をさすったりすることが叶わないのが一番悲しかった。

そして、戦う言葉を知らないまたどこかの彼女たちは、こんなに阿保な男どもに簡単に人格を傷つけられ、その気持ちに名前を付けることもできず、受け入れ、破綻していくのだと思うと、やはり私はこの研究を成功させなくてはならないと思ったのだ。

 

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これはパリの思い出

 

2020年1月2日  木曜日

 

これは次の日の朝の私のつぶやきである。

 

今回DMした人はわたしの研究対象に当てはまってたんだけど、本当に知見が狭く、しかしそれを全く自認していないので憤ってわたしに対して「極小な宗教のよう」って言うてきたのね
(補足:私が寝ている間に足りない頭で一生懸命私の言葉遣いに合わせようと頑張った感じがあふれる返信が来ていた。なんというかあまりに稚拙な内容と、一晩経って読み返していても矛盾点が多すぎる部分や、どこまでも人の足を引きずろうとするその性根に笑いを禁じ得なかった。その「極小な宗教」という罵り言葉こそ、彼が何も知らない、知ろうとしない思考回路の表れであり、私は知のヒエラルキーの下層部をまざまざと感じていた。)

 

私に話し方似せてくるし、話通じねえってか本当のバカだなと思って、こんなくだらない奴らに女性は日々脅かされ、傷つけられてきているのだなと実感した。もちろん法律がセックスワークを見えない場所に追いやっているのが原因なんだけどさ

 

セックスワーカーの所在をめぐる議論ではなくて(だってtheirはマイノリティではない)、非当事者がどれだけ「把握していないか」「見下していないか」を探らなければならないのかぁと思った。

 

それってとても道のりが険しく、やはり実像をつかむことはできないのかもしれない
すでに傷ついているセックスワーカーから話を聞いて実像を作り上げなければならない、なおかつ社会集団と規定できるかどうかもわからない…。

 

心理学ではこの「把握してない」から偏見が生まれ、ステレオタイプを構築し、最終的にヘイトスピーチに発展するわけだけど、段階を踏む前に人にとってどのレベルまで行っているか心理尺度を測らなければならないとも思った。となると社会学ではないのかなあ

(補足:この心理学と社会学の間の微妙なところ(社会集団の心理尺度を測るという部分)はマシュマロテストが具体的だと思っている)

 

私は何が知りたいんだろう

 

パパ活、ソープ、デリヘル、個人売春、ピンサロ、キャバクラ、ホステス、イメクラ等々、これらから選んで「買う」ってことはなんらかの意図があるんだよな 目的と行動を一致させるためにはどれか一つに絞らなくてはならないかもしれない(例:本当は本番がしたい/お金や体だけの関係に満足しない)

 

 

ということで坂本先生に相談してみることにした。
まずは質問紙法の分析方法を聞いた。2019年1月2日の6時ごろに聞いたのだが、お昼前には返信が来ていて嬉しかった。

 

おおむね分析方法は心理学といっしょだった。最近はソフトに頼りきりだが、社会学にもそういったソフトはあるのだろうか。方法が一緒なら一緒な気がするんだけど…

 

そしてもう一つについては、労働を終えた夜にリアルタイムでやり取りをした。
そして話はわたし研究の前に具体的な予備調査を行うという点に終結した。

 

そんで、坂本先生から言われたことの中で、私が受ける印象が徐々に変わってきていることに気付いた。

 

アプリオリに違いを先に据えて考えていませんか?(坂本先生より)

 

これはもう半年にわたって耳にタコができるほど言われてきたのだけど(それほど私の思考回路が固まっていて、知識が身についていた(わからないことがない))、今までの私だったらぐうの音も出ていなかったと思う。図星を突かれているような気になるからだ。

私はわたしの意思を研究を使って確かなものにしたいとおもっていた。前までは。
でもそうじゃなくなってきた。
やっと「何を知りたいか」「わからないことは何か」が明確になってきたからだと思う。

 

うわ~!

 

とりあえず明日の日記につなぐ。